罪と約束、そしてショーケース。
(2010年9月29日)

カテゴリ:キャリアのことも
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リクルートがいきなり「リクナビの7つの約束」を掲げた。
7という数字は一種の神秘数である。そして、もっともクラシックなケースがキリスト教における「7つの大罪」だ。少々皮肉な見方であるが、この約束が仮に「今まで実行されていない」のであれば、語尾を否定形にしただけで「7つの大罪」に変わってしまうだろう。
いや、「今まで実行されていたか」については、ここに書いていないし、私も詳細を知らないのでコメントできない。できていたことを、改めて宣言されたのかもしれない。
ただ、唐突に感じた、ということだけである。
しかし、一番大切なことは、あの「約束」には書かれていない。それは、当然のことなのだが、とても大切なことだ。
それは、就転職ビジネスはあくまでも、企業がお金を払っていることで成り立っているということ。そして、その企業情報は本質的には「広告」であるということだ。「ジャーナル」という名のつくメディアもあるが、そこには企業に対してのネガティブな情報は見られない。
就活ナビ、というのは企業がカネを出すショーケースなのである。ショーケースの運営をいかに改善しても、広告情報の塊を見て就職を決めることには一定のリスクがあることに変わりはない。


僕は学生の就活相談には乗るけれど、それをビジネスにはしていない。講義をとっている学生から、近所の飲み屋で知り合った者まで、時間があればそれなりに面倒をみる。別に就活ビジネスを否定しているわけではなく、そこまで仕事としてやる余裕がないので、できる範囲でやっているのだ。
そういうところで、あるいは講義でもまず伝えることは、そういう就転職ビジネスの仕組みだ。
実際に学生との接触は、できる範囲でやる。学生を集めたボランティアのセミナーにも行く。あのようなショーケース以外で、学生との接触することで少しでも役に立てれば、とは思うからだ。
まあ何十万人もの、学生のほんのわずかにしか話せないわけだが、大人としてできることをやるというだけだ。
普通に働いている社会人が、後輩などのために話をしてあげる機会が、年々少なくなっている。そして、ショーケースに頼ることが多い。
物心ついてから「買ってくれ」と叫ぶ無数の広告に囲まれてきて、突如「買わせてくれ」「売りに来い」という広告を受けるわけである。その時点で、どれだけ冷静な判断ができるのだろうか。
若者の未来を、広告的行為だけにまかせてはいけないのだ。
そういうことに、幾ばくかの社会人が気づくのであれば、あの「7つの約束」も30段広告もそれなりの意義があるのだろう。