マックの店員はマスターズにもウィンブルドンにも出ない。
(2012年4月19日)

カテゴリ:キャリアのことも
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コメント(1)

世の中には稚拙な議論が溢れていて、ネット上ではそれがテキスト化されるのだが、僕はいちいち突っ込まない。ただし、あまりにも議論の前提がひどい場合には、やはり書かないわけにはいかない。特に、キャリアについての議論となればなおさらだ。
錦織圭や石川遼はマックでバイトしない–「大学に行かない若者」と接してというエントリーをたまたま目にして思ったことを手短に書いておきたい。
誰だって自分にとって理想の仕事や生き方がある。ただし、他の人の生き方には敬意を払ってほしいと思う。卑下してほしくない。
それだけのことだ。
この文章を読むと、どうやらマックジョブは「解放されるべきもの」らしいけど、それはマックジョブを「不本意なもの」として行っている人の価値観だということだ。
だから、人それぞれだから別にいいという考えもあるだろう。
ただし、世の中には自分の能力を最大限に発揮することで、そうした作業をおこない対価を得て生活している人もいる。そうした人にとって、マックジョブの仕事は目いっぱいのものであり、決して努力していないわけではない。


生涯にわたり、比較的単純でかつ賃金の安い仕事に従事している人はたくさんいる。努力を怠った結果そうなった人もいれば、頑張っても限界がある人もいる。だから、こういう言葉がある。
「職業に貴賤なし」
それは、人々の能力によって得られる対価が異なっても、それぞれの職業に敬意を払うという理念のことだ。ところが、この言葉の意味も分からず「仕事で対価が異なるのだから貴賤はある」とか解釈する人すらいる。
全く違う。繰り返すけれど、まずすべての職業に「良い/悪い」はない。個々の仕事だけが「良い/悪い」で評価されるのだ。
ここで取り上げた文章は新しい生き方を論じているのだろうが、僕には強烈な差別感が感じられたので、書くことにした。
ちなみに、この同調した記者は大丈夫なのだろうか。
「マックの店員はマスターズにもウィンブルドンにも出ない」
それでも客を満足させることに、懸命な人もたくさんいる。
人の仕事を蔑む人は、やがて誰からも敬意を払われなくなるだろう。



マックの店員はマスターズにもウィンブルドンにも出ない。」への1件のフィードバック

  1. マツイ より:

    私はサラリーマンという職業に誇りを持ち、誠心誠意働いている者です。
    あなたのいうとおり、職業に貴賎はありません。
    私は、職業がなんであれ、自分の目の前のやるべきことから目をそらさず、顧客に期待されるパフォーマンスや目的に向けてベストを尽くすことは、どんなことであれ価値があると信じています。
    そして、実際、私はその行動からいろんな貴重な経験ができ、自分の成長につなげることができました。
    がんばってきてよかったと思っていますし、自分のこれまでの人生に感謝しています。

    理想や目標などなくても、目の前のやるべきことを淡々とこなしてくことが人間のすばらしい能力だと思いますし、本来、日本人にはそんな素敵な力がきちんと備わっているように思います。
    大切なことをあらためて考えることができました。
    ありがとうございます。