ますます”AIDMA”なリアル書店。
(2013年10月18日)

カテゴリ:マーケティング
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久しぶりに書店に行った。というくらい、ネットで本を買うことが当たり前になっていたのだが、やはり大型書店に行きたくなったのだ。
きっかけは長野の小布施に行ったこと。葛飾北斎がこの町を訪れたのが80歳を超えてからという話を知って、半信半疑のまま北斎について調べたくなったからだ。
本と言っても、図版を伴うものも多いだろうから、ということで新宿の書店へ行った。
で、結論から言うと何も買わなかった。
美術書のコーナーへ行ったのだが、事前にamazonで調べたよりも点数がないし、本当に探しにくい。理由は簡単で、出版社の全集やシリーズごとに並べられているから「北斎」と言っても、あちこちに飛ぶ。まして新書や文庫となるとフロアすら違う。
で、やっと書店に来なかった理由を思い出した。そう、この苛立ちがストレスになるのだ。
書店の棚割りは、「内容別」ではなく、「形態別」なので、こうなると、もうどうしようもない。
結局、図書館で調べてamazonで購入するということになった。
改めて思ったのだが、リアル書店というのはどんな意味があるのだろう。
この書店も、売りたい本は、いわゆる「多面展開」をしていて、これでもかとばかり場所を占めている。こうして、リアル書店では、売れそうな本ばかりが目立つのでライトユーザはそれでいいかもしれない。ただし、そうすればするほど、総点数は減るわけで、本好きには物足りない。結局ネットで買うと思う。


無限に増えていくコンテンツを有限の空間で売る、というのがとっくに限界なんだろう。
そもそも、という話になるのだけど本というのは「探し求める」というものではないか。で、点数がこれだけ増えると何らかの検索から行動するわけだ。
それなのに、リアル書店は未だに“AIDMA”なのだ。とにかく、売れ筋をガンガン積んでAttentionで本を売っていて「文化の担い手」というのもなかなかにきつい。
書店の入り口に端末があればいいのだろうが、それよりも自分の携帯でamazonで検索する方が使いやすい。(今回もそうしたが本がなかった)一方で、専門的なことの検索・分類は図書館の十進法がある。書店員より司書の方が、はるかに頼りになる。
まあ、みんな同じように考えるわけでで、「じゃあamazonがそのままリアル書店作ればいいんじゃないか」、という話で本好きの友人と盛り上がったのだった。
しかし、ホントに大丈夫なのかリアルな書店は