「固有名詞」を食べてきた日本人。
(2013年11月12日)

カテゴリ:マーケティング
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219-meet.png近所にある肉屋が、潔い。肉屋が潔いというのも変な話だけど、最近の食品偽装問題を聞いてると、そう感じる。
この店で牛肉を買おうとすると、どうなるか。
安い順に「牛上肉\470」「牛最上肉\520」で、次が何と「牛肉\630」なのだ。\730の牛モモ肉、牛肩ロースと続いて「特選牛肉\840」となっていく。
「牛肉」が「最上肉」より安いのも謎だけれど、産地など一切書かれていない。というわけで、その時の懐具合や料理に応じて相談しながら何となく決める。
牛は牛、豚は豚、鶏は鶏。
昔は、と言っても20年くらい前はこれが普通だった。基本的には「牛肉」という「普通名詞」の食品を食べていたのである。その頃、固有名詞を持っていたのは、神戸、松坂、近江くらいだった。
魚もそうだ。「関鯵」「関鯖」あたりから、固有名詞化してきたと思う。
「固有名詞化」というのは、「ブランド化」に他ならない。ブランド論というと、いろいろややこしいことを言う人もいるが、結局は「固有名詞」を認知してもらえないと、価値構造も何もあったものではない。
会社員時代に「ブランド本」というムックを編集したのが15年前で、その後ブランドコンサルティングの立ち上げにも関わった。ブランド論議は大体わかっているつもりだが、この間に起きたことは、「固有名詞の認知競争」があらゆる領域に広がったということだ。

それが、もっとも如実に出たのが外食・食品関連の業界だっただろう。
海外でもワインなどは産地という固有名詞を重視するが、日本ほどさまざまな食品が固有名詞化している国はそうそうないと思う。
日本人が、「食べ物」ではなく「固有名詞」を求めて食してきたからこそ、偽装が起きた。こうなると「業界の体質」ではなく「日本人の体質」なんじゃないかと、思う。
以前年下の友人が「本当にうまい店は、産地とか書いてない気がする」と言っていた。今から15年くらい前だったが、慧眼だったと思う。真っ当な店は、メニューに余計な固有名詞を書いたりしない。
ちなみに、この肉屋はスーパーの真ん前に店を開いているが、ちゃんと営業を続けている。このスーパーも決して品質が悪いわけではないのだけど、支持されているのだ。
というわけで、これからの外食産業がするべきことは実に簡単。余計な「産地名」に頼らず、単純に「料理名」で勝負すればいいのだ。
好きなレストランで「牛のしっぽの煮込み」が食べたい時に、どこの牛か?と気にしたことは一度もない。おいしいからだ。その気持ちは、牛丼からハンバーガーに至るまで同じだったはずだ。
さて、これからのメニューはどうなっていくのだろうか。固有名詞に頼らないで「食べておいしい」店が繁盛するなら、この騒動も意味があったと思うけど。