2016年05月アーカイブ

最近、キャリアに関する話をすることが多く、自分が会社を辞めた頃のことも思いかえす。そして、しばらくの間は、しょっちゅう胸の辺りがブルブルしていたなあということを思い出した。

というか、正確には「ブルブルしているようだけど、実はそうでもなかった」というわけで、それは「幻想振動症候群」ということを後に知った。英語だとphantom vibration syndromeというわけで世界中で見られる現象なのだろう。

しかし、なんとファントム!なんか「オペラ座の怪人」が出てきて、いろんなモノをブルブル震わせているようだ。それじゃ、ポルターガイストか。

つまり、携帯電話が震えてもいないのに、そう感じるということだ。あるいは「空耳」みたいなものかもしれない。じゃあ、なんでそんな状況だったのかといえば、やはり日々緊張していたからだろう。

会社を辞めた頃からしばらくは、メールを携帯に転送していた。だから、どこでも受けて、とりあえず返信する。「ただ今移動中ですので、のちほど折り返し返信します」とかを定型文に入れていた。

パソコンも持ち歩いていたから、とにかくすぐに返信した。1人で仕事をするのだから、この辺りは相当気を使っていた。旅行に行く時もずっとパソコンを持っていて、初めてパソコンなしで旅をしたのは、辞めてから3年経った頃の北海道旅行だった。 >> 僕が「幻想振動症候群」だった頃。の続きを読む



先日、主としてミドル世代を対象にしたセミナーに行った。

会社を辞めて独立する、というだけではなく「会社員でありながら二足のわらじで頑張る」とか「会社との関係を維持しながら独立する」とか、いろんな方法があるんじゃないか?と考えてみるのが主眼だ。

聴講は多くが会社員だった。主宰の方は既に定年退職をされているが、在職中から本を書かれており、今でも現役社員から相談を受けるという。

会社員が「そろそろ辞めて、独立すっか」と思って、ヒョイと行く人はそうそういない。傍から見て「ゼッタイ大丈夫だろ」と思っても、本人は悩んでいたりする。

やっぱり、最大の悩みどころは「食っていけるか」ということだ。

そして、相談に来る人は、そもそもためらいがあるという。その時に、異口同音に言うのは「もう少し、研鑽を積んでから」というらしい。

いや、そんなこと言ってたらいつまでたっても会社辞めるのは無理だよ、という話になったのだけど僕もそう思う。

辞めて成功する確率が100%になるわけはない。そんなことは誰でもわかってる。問題は、気持ちの中で「80%くらいは欲しい」とか「せいぜい50%程度は」など、妙な計算を始めることだ。 >> 「確信」を求めてたら、いつまでも会社は辞められない。の続きを読む



bpoベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演

指揮:サイモン・ラトル
ソプラノ:イヴォナ・ソボトカ、メゾ・ソプラノ:エヴァ・フォーゲル、
テノール:クリスティアン・エルスナー、バス:ドミートリ・イワシェンコ、
合唱:新国立劇場合唱団 (合唱指揮:三澤洋史)

 

2016年5月15日(日)15:00 サントリーホール

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調「合唱付き」作品125

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4楽章でチェロとコントラバスが、有名なテーマを奏で始めた時に、いままでに全く聴いたことのない音楽が鳴っていることに気づいた。

特徴的にはこれ以上ない弱音、技術的には揃った音程、と書くとそれだけのようになってしまう。ただ、それ以上の得難い感覚があって、それは「いま音楽が生まれてくる」という体験を共有しているという不思議な気分だ。

クラシック音楽は過去に書かれた楽譜の再現で、馴染みのあるメロディであれば「ああ、始まったな」と思う。つまり、記憶の確認をしていることが多い。ところが、稀に「これからどうなるんだろう」と感じることがある。つまり、「新しい音楽」に立ち会っているという感覚だ。

この緊張感がだんだんと緩和されて、やがて大きなうねりが訪れていく。その頂点で、イワシェンコの朗々とした声が響いた頃から、段々と楽員の表情も緩んでくる。

卓越した技術を持つ奏者が、「いまが最高だ」という思いで弾いていることがヒシヒシと伝わってくる。ベルリン・フィルが「最高」と言われる由縁はここにあるのだろう。

音楽は、いまここで作られる。それはラトルがベルリンフィルが、聴衆を巻き込んで追求してきたことで、この日の演奏はそういう中での1つの頂点だったかもしれない。

いっぽうで、ベートーヴェンを演奏するのは難儀な時代になってきたと思う。フルトヴェングラーからカラヤンの頃までは、好き嫌いはあったとしても「こうやるんだ!」という確信があった。そしてアバドの頃から模索が始まり、それは今に至るまで続いている。

もっとも、それはベルリンフィルだけではなく、世界中の音楽家の課題なんだろう。

演奏全体を振り返ると、3楽章の後半くらいから音楽が一段とこなれて来て、フィナーレには聴いたことのないような熱量があった。ソリスト陣はもちろん、新国立劇場のコーラスも充実していた。

終演後にラトルが挨拶をした。「ありがとうございます」という日本語に続いて
”from my soul,from BerlinPhilharmoker,from my heart” そして”for your love,concentration,listening ……でその後聞き取りにくかったんだけど、~in the world と続く聴衆への感謝だった。
「外交辞令」と言う人もいるだろうが、僕はそうは感じなかった。Concentrationという言葉の選び方は、まさに「一緒に音楽をつくってくれた」人々への感謝だと思ったからである



renoirオルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展 国立新美術館

先週の金曜日、上野の若冲はTDRも真っ青の状態だったし、出品目録を確認したら見た作品が多かったし、でルノワール展に行った。

平日の17時前とはいえ、人が少なくゆったりしていて、さすがに驚く。かつては印象派と言えばそれだけでごった返した。きっと「バーンズ・コレクション展」あたりが頂点だったかと思うけれど、いま調べたら1994年だ。まだ80年代の余韻もあって、デパート美術館に慣れ親しんだ層が多かったんだろう。

というわけで、ゆったり見られたルノワール展だが、これが相当に豪勢なご馳走だった。

ポスターにも使われた「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」はもちろんだが、とにかくオルセーで見た記憶のある作品がワサワサとある。

入っていきなり「猫と少年」で、「読書する少女」が佇み、もうこの辺りで相当期待が高まる。

ウェブサイトの「見どころ」で紹介されている、「ピアノを弾く少女たち」や「浴女たち」などはまさに見どころなんだけれど、この展覧会はテーマ設定と構成が素晴らしい。

舞踏会を「現代の田園詩?」と言うタイトルで展開させて、コローの「ニンフたちのダンス」から、ダンスホールを描いたゴッホの作品まで一気に見せたりする。 >> 想像以上に豪華なご馳走は、配膳も巧み。ルノワール展の続きを読む



会社員を辞めて、1人で働くようになった十年以上が経つと、昔の感覚を忘れるようになる。

もっとも、企業と取引しているビジネスが殆どなので、ビジネスについては実に広い範囲の話をしていて、これは会社勤務の時よりも幅が広いと思う。ただし「ビジネス感覚」は共有できても、「会社員感覚」というのは忘れてきていて、ことに異動や評価などをめぐる心情みたいなものは、懐かしい感じになっている。

もちろん人事システムや育成施策、採用方針などの相談は、仕事としてはおこなっている。

ただ、一番うっすらとしているのは「ほめてもらう」という感覚だろう。

フリーランスのプロを名乗っている以上、依頼されたら期待値以上の結果を出し続けなくてはいけない。などと、書いてしまうと恥ずかしいような文章になるが、それを続けられなければ、「はい、どうも」で終わってしまう。

ただし、評価と言うのは「次の依頼」があるかないかで決まる。それだけだ。誰もほめてくれない。

会社員時代だと、成果を出せばほめてもらえる。「頑張ったね」と口で言われなくても、査定と言うデジタルな結果により、ほめられていることになる。時には、まわりから「すごいですねぇ」とか言われたりもする。

まあ、この辺りをカン違いして会社辞めちゃったりもするんだけど、辞めてしまうと「すごいですね」とかは言われない。「ありがとうございます」と言われて、「またよろしくお願いします」というサイクルが基本だ。 >> 会社辞めてフリーになったら、誰もほめてくれないんだよね。の続きを読む