強いブランドに「良い記憶」は必須なのか?
(2017年8月7日)

カテゴリ:マーケティング

先月、「ブランド」についての、レクチャーを久しぶりに行う機会があった。まあ「ブランディングとコミュニケーションの仕組み」というような話だ。

あらためていろいろと調べてまとめてみると、インターネットの影響は当然でかいのだが、何がどう影響しているのか?ということについては散発的な議論になっているように思う。

そして、今回改めて思ったのは、「記憶」の話がちょっと難しくなってるな、ということだった。

ブランディングは、ブランドを「強く」することが目的だ。で、この「強さ」の正体は人々の「記憶」とされていた。ブランドに対する記憶を良好な状態にメインテナンスすることで、購買時に優位に立てますよ。

そういう理論の下で、「コミュニケーション戦略を考えましょう」という話になった。それは1998年頃だから、ウワっもう20年前か。そして、その頃の「コミュニケーション」の多くはマスメディアを使ったもので、形態としては殆どが広告だった。

というわけで、広告会社は続々とブランディングを唱え始める。まあぶっちゃけて言うと「そのためには広告ですよ」という“落としどころ”を狙ったわけだ。

ただし、ブランディングというのは広告だけでできるわけがない。というわけで、コンサルティングを始めたりしたのだけど、「いい記憶」をつくりましょうという話は変わらない。

でも、本当に記憶しなきゃダメなのか?

何か買いたいと思って、検索する。その時に、未知のブランドが候補になったとしよう。自分が知らないだけではなく、知名度は高くなさそうだ。しかし、レビューの評価は高い。じゃあ、買ってみてもいいんじゃないか。知っている有名ブランドもあるけれど、こっちの方が価格も安いし、評判もいい。

なんて経験は、覚えがあるんじゃないか。僕も、そういうことはあるけれど、この場合だと「ブランドを知っていること」は、とりわけプラスになるわけじゃない。

一生懸命に広告などを行って知名を高めて、そこそこ良い記憶をつくったとしても、購買時の評判情報の影響力が高ければ、記憶に意味はあるんだろうか?

記憶に残るよりも、「検索→評判」の方が選択時には有効なんだろうか。たしかに、それでも不自由はないような気がする。

以前、最近の学生がブランドについて知らないということを書いたけれど、たしかにブランドについての知識なんて記憶する必要はない。それは、ネットのどこかに「集団の記憶」としていつでも取り出せるわけだ。

などと考えてみたけれど、やっぱり記憶は重要かもしれない。というのも、一度購入して「これはいい!」となれば、今後の参考にするだろう。そうなると、記憶しておいた方がメリットがある。というか、自然に記憶に残るはずだ

ネットによる情報探索の時代には、「あらかじめおカネをかけて、ブランドのことを記憶してもらう」という方法が成り立ちにくくなっているということかもしれない。

ただ、これは僕の直感的なものなんだけど「大切な記憶容量をブランド知識のために使う」というのは、なんだか違うんじゃないか?そういう感覚の人が増えている気もする。

いわゆる「バブル期を知ってる人」は大切な記憶容量の結構な部分を「お買い物のためのブランド知識」に使っていて、若い世代から見ると「なにもったいないことやってるんだ」と見えるんじゃないか。

まあ、記憶の仕組みはディスク容量のように単純ではないのだけど、そんなアナロジーで捉えちゃう人もいるわけで、この辺りが消費行動を巡る世代差の話につながっている気もする。

とりとめがないんだけど、この話の続きはまた別の機会にでも。