遠いようで身近な心情。「放哉と山頭火」
(2016年10月4日)

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71z5ply04llコスモスという花が、どうも好きではない。どうしてかよくわからないのだけど、薄幸な風情で人の気を引こうとしているような感じがしてしまう。

すると、こんな句を知った。

晴れつゞけばコスモスの花に血の気無く

尾崎放哉の句だ。渡辺利夫『放哉と山頭火』(ちくま文庫)を読んでいたら、出会ったのだけれど、花という存在を突き放したような不思議な切れ味がある。

この本は、自由律俳句の2人の鬼才の生涯を描いた本だ。生まれは山頭火が3年早いが、逝ったのは放哉が先だ。山頭火は58歳、放哉は41歳の生涯だった。

この2人の生き方には似たところがある。いや「生き方」というほど、当人が自分を御している感じではない。「生きる有様」が似ていたという感じだろうか。

2人とも、どこかへの「所属」ができない。

山頭火は、大学に馴染めず、仕事にも適応できず妻子をおいて放浪に出る。またよりを戻そうともするのだが、結局はまたあちらこちらを彷徨する人生だった。

放哉は東京帝大を卒業して保険会社に勤務するが、周囲とうまくいかずに退職する。

そして、2人ともかなりの酒飲みだ。というより、「酒乱」と言っていいだろうし、相当の依存症だろう。放哉の会社勤めがダメだった原因が酒だし、山頭火も酔って市電の前に立ちはだかって死にかける。

とにかく、何かから逃げようとしているが、逃げ切れない。

読んでいると、本当にもどかしくなるような伝記なのに、時折出てくる句が素晴らしく、また読み進めて行く。

2人とも、放浪の時代には全国の句友が助けてくれるが、それは雑誌を通じて既に俳人としての名が高かったことも理由の一つだろう。

ただ助けるのは句友だけではない。彷徨する者に手を差し伸べる寺や、彼らを支えた各地の人々がいて、それが救いともなっている。今だったら、彼らのような人は生きて句を残せたのだろうか。

彼らの苦悶の背景は、家庭もあれば、気質もあるのだろう。ただ、日露戦争に勝利した高揚の時代に20代だ。もしかしたら、社会の空気に馴染めなかったかなと想像する。

ちなみに、山頭火と放哉のもっとも知られている作品は、これだろうか。

分け入つても分け入つても青い山

咳をしても一人

作品の前に伝記を読むのはあまり好きではないのだけれど、読んで初めてこうした句の背景がわかることもあるように思う。

ちなみに、それぞれの辞世の句はこちら。

もりもりもりあがる雲へ歩む

春の山のうしろから烟が出だした

2人の生きる姿は、現代の自分たちとは遠いようでありながら、どこか身近な感じがして、それがまた不思議だ。

評伝の著者渡辺氏はアジア史研究者として多くの著作のある方だが、文章は柔らかく、少し覚めたところが2人の心情を浮き彫りにする。

句集もまた、手元に置いておきたい。ただ、ある程度心身の調子がいい時に読んだ方がいいかもしれないけど。