そう、これは深いのだ。果たして猫は後悔するのか。

哲学者の野矢茂樹氏の著作『語りえぬものを語る』(講談社)の第1章の表題には「猫は後悔するか」とと記されている。

結論は、まず5行目にあっさりと書かれる。

「私の考えでは、しない。いや、できない」ということだ。異論のある方もいるかもしれないが、まずは氏の考えを追っていく。

そもそも、後悔するには、事実に反することを想像する必要がある。では、なぜそれができるのか。そのためには、「世界が分節化」されていなくてはいけない。

「犬が走っている」という事実がある。その時僕たちは、「犬」という対象と、「走っている」という動作という要素から構成されていると捉える。これが分節化だ。

分節化された世界にいるからこそ、「犬が逆立ちする」という事実に反することを想像できる。そのためには、分節化された言語が必要だが、猫はそれを持ってない。

犬が走っていれば、「走っている犬」という現実に対処するだけである。猫だけではなく、犬だってそうだろう。

という説明である。たしかに、そうだ。 >> 「猫は後悔するか」問題について。の続きを読む



IMG_1394ベルリン国立歌劇場管弦楽団 日本公演

指揮:ダニエル・バレンボイム

2016年2月14日(日)サントリーホール 大ホール

ブルックナー/交響曲第5番 変ロ短調

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「感動をありがとう」という言葉がどうしても馴染めず、オリンピックやワールドカップの時にその言い回しが飛び交うとどこか居心地が悪くなるんだけど、今日はその気持ちが少しわかった気がした。

ブルックナーのフィナーレでジワジワと涙が出てしまったのだが、オーケストラでは相当久し振りの体験だったけれど、自分でも驚いた。

溜池山王の駅には「あなたは歴史の目撃者となる」というちょっと大げさなコピーのポスター。そして、ホールまでの地下道を黙々と、巡礼の列が連なる。殆どが男性1人だ。バレンタインデーとか、全く関係ない。ホワイエには、たまに若い女性もいるが、なぜか心配になる。ここはバレンボイムを聴く所で、バレンタインとは関係ないんですよと教えた方がいいのか。今日に限らないが、ブルックナーのコンサートはいつもこんな感じだ。

第5番は静かなピッツカートで始まるが、バレンボイムは殆どタクトを動かさない。それでもオケはキッチリとテンポを刻む。この時、今日はいい演奏にはなると思った。

指揮者が何を求めてどこに進みたいかが、十二分に共有してるように感じたのだ。

全奏になると、管楽器が心持ち後から出る。ずれているのではない。こういう曲の場合、スパッと出るよりも音が豊かに響く。 >> 圧倒的感動と沈黙。バレンボイムとブルックナーの5番の続きを読む



IMG_1369六本木ヒルズが2003年にオープンした時のキャラクターは、村上隆が作っていた。そんな縁もある施設の美術館で久々の個展だ。14年前の木場の個展には足を運んでいた記憶がある。

エントランスに着いたら、音声ガイドの貸し出し案内にディスプレイに男性の顔が映っている。村上隆がいつの間にこんないい男になったのかと、近づいてみたら斎藤工だった。彼がナレーターを務めているらしい。

入り口には「撮影して、シェア!」という看板がある。撮影OK、拡散上等というわけで、メディア戦略にも抜かりはない。本人を模したオブジェもお出迎えだ。

ミュージアムショップはフィギュアもお菓子も盛りだくさんで、キャラクターのお花クッションは7,000円から17,000円くらいまでという結構な値段だったが、それでも「お一人様5個まで」という制限付き。へえ~と思ったけど「他者への販売を目的としたご購入はご遠慮ください」という注意書きが、英語と中国語でも書かれている。

ああ、そういことになっているのだろうけど、興行としての展覧会としては一つの到達点かもしれない。

一方で、展覧会の目玉の五百羅漢の制作過程の記録も興味深い。全国の美大学生から志望者を募って、24時間シフトで制作体制を組んだという。最終的には200人以上がかかわったようだが、全幅100メートルという大作だけに、それでもギリギリだったのだろう。 >> 村上隆の興行と工業~ヒルズの「五百羅漢展」の続きを読む



IMG_1368立春を過ぎたが、旧暦の新年は明日だ。。つまり北朝鮮は、中国にとっての大晦日にロケット花火をぶっ放したわけで、そう考えると相当のあてつけのようにも思える。

ちなみに今年のような場合は「年内立春」というのだが、それが特段珍しいわけではない。年の初め、つまり旧暦睦月は月の満ち欠けで決まる。明日は新月だ。一方で二十四節季は1年を24に分けるので太陽の動きによっている。立春の次は19日が「雨水」となる。雪が雨に変わり、氷が水になる頃合いという意味だ。

音楽の世界でも季節を描いたものは多いが、春はどこか浮かれている。冬だとシューベルトの「冬の旅」が圧倒的に存在感があるが、あれを寒い時に聴くとそれだけで凍えてしまうので、夏の夕暮れくらいがちょうどいいように思う。

というわけで、今日は春の音楽について。

ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番は「春」というタイトルだ。初めてこのメロディを聴かせた人に「ある季節のタイトルがついてます」とクイズを出したら、まずほとんどの人は「春」と答えるのではないだろうか。

この曲の冒頭の流れるようなメロディは、「春の小川」の風景をどこか連想させる。雪解け水が流れる穏やかな風景だろう。

あまりしっかりと弾き込んだ演奏よりも、名人がサラリと奏でたディスクの方がいい。能天気といわれるくらいの頃合いで、ひたすら美しいパールマンや、自在なフランチェスカッティなどが気持ちいい。後者の場合、自在なのはピアノのカザドシュではないかという気もするが。

シューマンの交響曲第1番も「春」だ。ただし、これは季節の春が来たというよりも、自分の中に春が来たような音楽だ。シューマンは相当に精神が不安定だったというけれど、まあ何か浮かれていたのだろう。 >> 【音の話】立春なので、春の曲三題。の続きを読む



(2016年2月6日)

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H2802_noh_omote国立能楽堂 特別公演

2016年1月31日(日)13:00 国立能楽堂

能・金剛流 「鱗形」

狂言・大蔵流 「舟船」

能・観世流 「唐船」

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昨秋から能を観に行くようになったのだが、とても評することができるほど回を重ねていない。もちろん巧拙を語ることはできないのだが、ぼちぼちと感想などを書いていこうかと思う。

(以下演目についての説明などは国立能楽堂発行のプログラムの389掲載の村上湛氏の解説を参照している)

この日の特別公演は海や船にちなんだ演目だった。「鱗形」は北条時政が紋所を定めるために、江ノ島の弁財天に参詣する場面から始まる。

「舟船」は主従が渡し場で舟を呼ぶ時のやり取りが主となる。

さて、この日の主演目は「唐船」だった。シテは武田志房、ワキは福王和幸。演じられるのは珍しいようで、観るのはもちろん初めてだ。解説によると、潜在的な人気が高い割に上演されない理由は、4人もの子方役を揃える必要があるからだという。しかも謡も多いので、能力の高さも要求されるらしい。

そうか、児童合唱が必要なマーラーの第三交響曲みたいなものなのか?と思ったら全く違った。 >> 4人の子方が光る「唐船」。の続きを読む