CMが再生産する青春。
(2014年8月15日)

カテゴリ:広告など

高校野球の女子マネージャーが、たくさんおにぎりを作ったら、ネット上で非難されるという騒ぎがあったそうな。

で、この元の記事を見た時に僕が改めて感じたのは、まあなんと「日本の青春の原型」って強いんだなぁということだ。

太陽、青空、汗、涙。スポーツと恋愛のこうした図式ができたのはいつ頃からなんだろうか。

ちゃんと検証したわけではないけれど、1つ気になるのは「タッチ」だ。今の大学生と話していても、タッチがどんな話かを知っている人は多い。「野球」をテーマにして、発想法のトレーニングをすると、イメージの核の1つは必ずと言っていいほど「タッチ」だ。

今でも覚えているけれど、大学1年の時に友人が「大変だ~」と言ってたまり場にやってきて、それが何かというと「和也が死んじゃったよ」ということだった。ちょうど連載中だったけど、皆で相当驚いた記憶がある。つまり30年前以上のこと。

それから30年にわたって、相当の再放送があったせいか、あのストーリーは「青春の原型」として相当影響があるんじゃないかと思ってる。

一方で、テレビCMも、こうした青春の原型を再生産している。大塚の「マッチ」、カルピスウォーター、シーブリーズなどなど。女子の方がちょっと積極的になっているというシチュエーションが目につく。部活も定番だ。マッチでは、男子は野球部だし。

これもまた30年くらいにわたって続いてきた夏の既視感。でも、どうなんだろう。

「今どきの高校生って、ちょっと違うんじゃないですか」と、若いクリエイターなら一度は言うだろう。だからといって、「JK○○」のようなニュービジネスに邁進する女子高生が登場して、CMができるわけでもなく。そう、ドラマや映画はともかく、CMで描く世界観というのは相当の制約があるのだ。

そしておそらく、広告主の意思決定者も、また広告会社のCDも「記憶の中で美化された青春」が描かれたCMをつくる。企画書には「青春の一コマを切り取り」「ブランドへの共感を高めて」という説明なんだろう。キーワードは、おそらく「渇き」だ。喉と、心の。
そして、それなりの歳のオジサン・オバサンが、粛々と青春企画にOKを出すわけだ。

まあ、自分も昔はそういう現場にいたはずなんだけど、ふと思うと、何とも不思議な会議なんだろうなと。

いずれにせよ、広告というのは新しいことを求めているようでいて、「どこかで見たような風景」を冷凍保存することが多い。「記憶の原型」に働きかけることは有効だからだ。それを、タイミングをみて解凍するんだけど、特に夏になると「青春の一斉解凍」が発生する。

この一斉解凍に耐えられない人々が、甲子園で起きたあまりにも絵に描いたような青春に違和感を覚えるのかな、という想像はつく。

ただ、高校生が自分で決めたことについて、匿名の大人が理屈つけて非難するという風景には、それ以上の違和感を覚えたのだけれどなあ。