パワポって、結局何が問題なんだろう?と改めて考える。
(2015年1月20日)

カテゴリ:世の中いろいろ

パワポ、つまりパワーポイントをやたら使うことの弊害って、みんな何となくわかりつつ、何となく使ってるという感じなのかもしれない。

別にMACだし、パワポじゃないよ、という話ではなく、広く「スライド」を使うことの問題点と考えてもらえばいい。僕自身、最初に使ったスライドのソフトはマックの「クラリス・インパクト」だった。当時の職場はマックが標準だったのだ。

90年代後半から、「スライドをつくってプレゼンテーション」というのが、ビジネスでも学校でも普通になってきた。僕も普通に使っていたのだけど、見直したきっかけは大学の講義だった。

パワーポイントを使って、要点を説明し、適宜データを紹介していたのだけど、最近、これをやめるようした。もともとは、就活で出席できない学生のためにスライドのpdfをオンラインで配布していたのだけれど、自分で話していて、いまひとつ広がりがない。

で、手元にメモだけおいて、ひたすら板書していくことにした。

これが、結構いい。というか、学生の集中度が上がっている。板書して話していると、何となく話が逸れるんだけど、その辺が意外と面白い話のようで、わざわざ講義の後に質問してきたりする。

しかし、あのパワポ、というかスライド文化は結局何が問題なんだろう?

まず、知らぬ間に「スライドを作る」こと自体が目的になっていると思う。聞く方も、スライドがないと安心できない。データを説明するには便利だけれど、それは話の補助線で、「言いたいこと」を伝える方法は、もっといろいろある。

そして、プレゼンテーションが「成果の発表」になりやすい。つまり、それって学会発表などではいいけれど、ビジネスではちょっと違う。大学の講義も、また異なる。

そう。スライドのプレゼンテーションは、「話」という大切な要素が欠落しやすいのだ。会議で「いい議論ができた」というのは、どういう時だろう?それは、時間をかけてみんなで一つの「話」を創るプロセスが充実しているということだ。

スライドをつくると、聞く方はそのスライドを盲目的にありがたがるか、あるいはあら探しをしてしまうように思う。

ミーティングの主役は人だ。始まった時に、どう終わるかは、決まってない。参加する人によって変わっていく。実は、講義だってそう。学生が関心をもっているようなら、その話を広げればいい。

一方で、学会は、発表の「内容」が主役なのでスライドは適しているし、ビジネスでも決算説明会などはスライド向きだろう。

つまり、情報共有を主眼とするのであれば、パワポはそれなりに便利だし、そういう会議では使う意味もある。ただし、「何かを決めたい・変えたい・動かしたい」という時、心に訴えかけたい時には、見直した方がいいように思う。

というわけで、個人的には「パワポ離れ」をしたいんだけど、代替手段は仕事の種類によって、いろいろ考えなくてはいけないし、いきなりゼロにはならない。だからパワポで説明しても「なんだ使ってるじゃない」とか言わないでね。