「白物家電」になったテレビ。
(2016年1月18日)

カテゴリ:メディアとか

tvbdテレビを持たない人が、若年層を中心にジワジワ増えているという話を耳にすることは多いと思う。僕も大学の講義では、毎年メディア接触の状況を尋ねているが、一昨年ほど前から「テレビを持っていない」という学生がチラホラと出てきた。そう答えるのは、1人暮らしである。

で、最近は「将来は買うか?」と訊ねることにしているのだが、面白い傾向がある。だいたい「う~ん」と唸ってしまうのだが、「もし結婚したら?」と言うと、「あ、買いますね」という。

これって、テレビが白物家電になっているようなものかもしれない。1人暮らしだと冷蔵庫はあるけれど、洗濯機はなくてコインランドリーで済ませる人もいるし、調理家電も最低限のものしかなかったりする。

それでも、結婚すればいろいろ揃えるんだろうな~という想像の中で、「テレビ」がその中に入ってくるのだろう。必要な情報を得たり、コンテンツを視聴するなら代用品が十分にある。ただ、家庭の中にはテレビがあるんだろうな、というイメージになるわけだ。

かつては、「黒物」という言い方もあり、テレビやビデオがそう呼ばれたが、最近は聞かない。「白物」か「デジタル」か、という感じだ。テレビの普及率が若年層でジンワリ落ちる一方で、ブルーレイなどはさらに低い。「黒物」と言う領域がなくなっているのだ。

昨年3月に発表された内閣府の消費動向調査を見ると、そうした傾向がよくわかる。テレビは30代以上の普及率はほぼ同じで97%以上だが、20代は94.6%。ブルーレイは、30代から50代は55%以上だが、他の世代は低くなっている。(グラフ参照)

映画好きであれば、音や映像の質を重視するだろうが、とりあえず番組を録画するなら、ハードディスクで十分だろう。

そんなことを考えたきっかけは、「週刊スージー」のこちらのエントリーを読んだから。「テレビの時代は終わった?いや、まだ始まってもいねぇよ。」という刺激的なタイトルだけど、中身を見ると頷くことも多い。

「一周回って、テレビ界の新しい時代が始まっているのかも知れない」という指摘だが、それは「娯楽の王者」という呪縛から解かれた制作者が、増えているからなのかもしれない。おカネをかけるよりも、発想力の勝負。書かれているように、テレビ東京などがその筆頭だし、呪縛で苦しんでいるのがフジテレビと言うことなんだろう。

家の内でも、外でもたくさんの楽しみ方があるのだから、せいぜい「娯楽の旗本」くらいでいいんじゃないか、と。そういう力の抜け方ができれば、テレビの可能性もまだあるだろう。ネット配信サービスが出揃ってきたが、それはチャンスかもしれない。「カチッ」としたコンテンツだけでは、飽きてくることもあるからだ。

だったら、4Kなどの高品質競争だけではなく、「気楽な白物」という商品がいいかもしれない。そうなると、小型のテレビなどが、存在感を発揮してくるんじゃないかと思ってる。