【書評】ありふれることのない名作。「ありふれた祈り」
(2016年1月24日)

カテゴリ:読んでみた

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【読んだ本】ウィリアム・ケント・クルーガー(著) 宇佐山晶子(訳) 『ありふれた祈り』 早川書房

昨年の8月にkindleで購入して、すぐに読み始めたのだが、つい先日に読了した。一つの小説にこんなに時間をかけることはなく、そもそも途中でわからなくなりそうなものだが、半分を過ぎるころから一気に読んでしまった。

昨年の海外ミステリーの中でも高評価の一冊だが、謎ときという意味において、スリルや驚きを求めすぎない方がいいだろう。経験豊富な読者であれば、謎については検討がついてしまうと思うのだ。

それでも、小説としての味わいは一級だと思う。内容紹介は以下のようにある。
『あの夏のすべての死は、ひとりの子供の死ではじまった―。1961年、ミネソタ州の田舎町で穏やかな牧師の父と芸術家肌の母、音楽の才能がある姉、聡明な弟とともに暮らす13歳の少年フランク。だが、ごく平凡だった日々は、思いがけない悲劇によって一転する。』
小説は、その夏を回想するという一人称の形式でつづられる。

この内容紹介にあるように、静かな街に訪れる死の影と、その波に翻弄される人々を描いていく。全編は哀しみの旋律が奏でられているが、悲痛ではない。それは、タイトルの「祈り」という言葉に込められている。

現代は、”Ordinary Grace”で、このgraceは食事の前などの祈りだ。prayerではないのだが、その意味が明かされるシーンはこの小説のひとつのクライマックスになっている。

そして、それはピアニッシモで奏されるような頂点だ。その静かな感動を核にして、全般が精緻に設計されている。

トマス・クックの「緋色の記憶」、あるいはジョン・ハートの「ラスト・チャイルド」、そして「スタンド・バイ・ミー」など、少年を主人公にした米国生まれの名作は数多い。この小説も、そうした群峰につらなる名作だと思う。

それにしても、こうした少年を主人公にした小説群がなぜ米国で誕生するのだろうか。

共通点としては、地方の町が舞台になっている。それは欧州から移住してきた人たちが自然の中に築き上げた人工的な生活空間だ。

大都市とは異なるこうした世界は、米国人にとっての原風景なのだろう。そこには、また濃密な人間関係があって、回想シーンの中で濃厚に煮詰められているいく。

そして、町の核には教会という存在がある。この小説の主人公の父は牧師だが、そのことが、光と影になり、登場人物の心理を揺り動かしていく。

事件が起きて、人の死があれば牧師の出番となるが、苦悩は誰にでも訪れる。

『聖書のなかで、十字架にかけられたイエスが苦悩のうちに”主よ、なぜ私を見捨てたのですか?“と叫ぶ瞬間ほど悲痛な瞬間はありません。そのあとまもなく訪れる死のほうがむしろ救いがあるのです』

神と自然が共存する風景。生と死を意識し始めた少年が生きる舞台として、米国の田舎町はもっともふさわしいのかもしれない。