「聴き放題」は「食べ放題」と似ていて、じゃあ音楽はどうなるんだろう。
(2017年1月19日)

カテゴリ:世の中いろいろ

定額ストリーミング、つまり「聴き放題」のサービスは、たしかに音楽の「買い方」を変える。だから音楽ビジネスが根っこから変わることはまあ分かる。ただ、単に消費行動を変えるだけじゃなくて、「音楽とのつき合い方」を変えるんだと思ってる。

それは「食べ放題」に似たところがあると思うんだけど、意外と議論されてない気もしている。

僕が音楽を聴いてきた経験の中で、まず起きた大きな変化はデジタル化だった。具体的には、CDの出現だ。いまでこそ「LPは音がいい」とか言われているが、それは相当のシステムが前提だと思う。

少なくてもCDが出た時は、そのクリアさに驚いた。それになんと言っても扱いが楽だ。そういえば、ちょっといいカートリッジを買ったばかりに、針を買い替えるために安い店を探していたことを思い出す。

そういう気苦労から解放されたわけだが、実際に聞き始めた時にも変化があった。好きな曲だけをスキップするようになったのだ。長いシンフォニーでも、間のアダージョを抜かしてフィナーレに行ったりする。

つまり、今では当たり前の「つまみ食い」が可能になったのだ。もちろんシャッフル機能もあって、それをうまく利用したのが「百人一首」のCDで、「アタマいい人いるな」と感心したことを覚えている。いまならアプリがあるのだが。

というわけで、この「つまみ食い」というのが「聴き放題」と「食べ放題」に共通する。食べ放題では、料理の順序については食べる方に任されている。

そこにシェフの意志はない。同じように「アルバム」に込められたアーチストの意志は、消費者によって再編集される。というか解体されてしまう。もちろんLPからカセットに録音して編集する人もいたが、一般的ではなかっただろう。

そして、「つまみ食い」ができるビュッフェでは「後悔」がない。味が好みかどうか分からなければ、ちょっとだけ食べればいいのだ。これもまた「聴き放題」と同じで、「なんか違うな」と思えば、別の曲に行く。

それだけである。

「食べてから後悔」も「買ってから後悔」も、たしかに悔しい。特に、学生時代に悩んで買ったディスクがスカだったりした時のことはよく覚えている。だから、今の学生はいいよな、と思ったりもする。

でも、敢えてひねくれたことも考える。実は「なんだあの曲」とか「どうしてあんな演奏?」のような疑問を持つことで、「本当にすごい音楽」のインパクトがあったんじゃないか。いっぽう「聴き放題」で育った世代は、そうした疑問を持つことはないだろう。

それが、どんな変化をもたらすかはわからない。

どんなに腕のいい料理人でも、食べ放題のビュッフェでその真価を出すことには限界があるだろうし、そのスタイルで最も満足度を高めるように料理を作ると思う。

同じように、「聴き放題」の音楽マーケットでは送り手のあり方もまた変わるだろう。

そこで、どんな音楽が生まれてくるのだろうか。ライブとの関係はどうなるのか。

食べ放題とはいえやがて「お腹いっぱい」になるように、聴き放題だって「時間いっぱい」になる。人間の時間は有限で、音楽を聴ける時間はその一部だ。

僕はそこまでして、自分の時間を音楽で埋めたいのか。しばらくはspotifyを定額で使うんだろうけど、いろんなことをついつい考えてしまう。