上田久美子の「壁」なのか?宝塚花組「金色の砂漠」
(2017年1月27日)

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IMG_2291宝塚歌劇の花組公演を観に行った。いわゆる「和物」のショー『雪華抄』が前半で、後半が『金色の砂漠』だ。作・演出が上田久美子というのが気になっていた。

『翼ある人びと–ブラームスとシューマン』で驚き、初の大劇場公演となる一昨年の『星逢一夜』も楽しんだ。

それ以来の公演で、舞台は砂漠の王国だ。いつか、と言われると困るんだが解説にも「いつかの時代」としか書いてない。「ガリア」という言葉が出てくるから、古代ローマとかそのくらいのイメージか。オペラ「アイーダ」のような世界で、要するに相当昔だ。

主役が奴隷で、トップスターがいきなり踏み台にされるというのも驚くが、彼は奴隷として仕えた王女と恋に落ちる。当然ながら、周囲は受け入れようとはしない、時代を遡って幼年の頃からもさまざまな因縁も明らかになるが、彼らは旧弊を打破できない。

芝居としては、劇的な要素も多く十分に楽しめるのだが、どこかに既視感がある。

大きなフレームが前作の「星逢一夜」と似ているのだ。コンサバ

その時代の旧い体制や考え方に抗おうとするのだが、志半ばに終わる。周囲に理解されない主人公たちは、理想を実現できない。

つまり、「理想を夢見るものの挫折」が主題になり、それを2作続けて見るとやや理が勝っていて、すこし説教されているような感じもある。前作のように、会場ですすり泣きが漏れるような余韻があるかというと、そこまででもない。

そのあたりに、やや「壁」のようなものを感じるのだ。

一方で『翼ある人びと』に、そういう感じはない。それは、ブラームス、シューマン、クララという人々が同志となり、ライバルのリストらも含めて実際に旧弊を打ち破っていく群雄劇になっていたからだろう。

宝塚のオーソドックスな構成とは異なるけれど、より作者の知識とセンスが生かされていたと思う。

そういう意味では、大劇場よりもバウホールなどの芝居中心の方が上田久美子さんには向いているように思うが、大劇場でこうした公演があった方がいいだろうとも思う。

いずれにせよ、彼女の作品はまた見に行くだろう。どんな挑戦をしてくれるのかが楽しみだ。