「年末年始を中止」というのは、とても快適だよ・
(2019年12月27日)

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今年はどこからともなく「忘年会スルー」という言葉が聞かれるようになったけど、そういえばそんなことをいつか書いてたなあと思って調べると、3年前に「忘年会のない12月はいいよ」とか言ってたらしい。

そういえば、結構「そうだよね」と当時も言われた気がする。

みんな、何となく思っていたんだろうなあ。

というわけで、その後も忘年会だけではなく、12月にする恒例的なことをどんどん止めている。

大掃除はもともとしない。気になるところは、12月初旬までに終わらせておく。前から思ってたけど、あれも必然性がない。

年賀状は結構続けていたけど、昨年からやめた。

そして、今年からおせちもやめることにした。黒豆とか数の子とか、それなりに作っていて、大した量ではないけど、一度やめてみようかと。やっぱり食べたければ、また次の年に作ればいいし。

忘年会、大掃除、年賀状におせちづくりをやめると、これはもう「年末を中止した」という状態になった。無茶苦茶快適である。もともと紅白とか見ないけど、誰かがラグビー関連であれを歌うと聞いて、ますます見たくなくなった。

今週は人間ドックに、免許の更新など行ったけど、当然空いている。

しかし、おせちもないとなると、年末どころか「正月も中止」という感じになってきた。妻の実家に行き、外で母やきょうだいと食事をするくらいで、予定はない。

本を読むのもいいけど、たまには映画に行ってもいいし、本当の休暇になりそうだ。仕事してもいいし、そういえば池波正太郎が「わたしは人が働く時休み、人が休む時働く」って書いてたことを思いだす。

それにしても、日本の年末から正月にかけての風習は大家族時代に成り立っていて、それを戦後の会社が、これまた大家族的に引き継いだことでどうにかなっていたんじゃないか。

その上、女性の負担が高い。働く女性が増えたのに、年末年始の習慣がそのままではきついだろう。

で、そういう行事をやめて「寂しい」とかいうのは、会社でも家庭でも「汗をかかない人」だったりするんだよなあ。

まあ、考えてみれば「季節の行事」がなくなって困るのは、それで商いしてる人たちだろう。ただ「恒例だから」というだけで商売するのは、実はあまりアタマを使ってないんじゃないか。
郵政なんて、あれほどの大企業が特に根拠のない正月の挨拶状に頼ってるうちに、いろいろ無理が来るわけだし。

恵方巻も土用の丑の日もハロウィンもいろいろと問題になるわけで、そういうのに頼っているうちは「マーケティングの進化」と言われても、なんか信じられないんだよね。

というわけでよいおとしを。