「世の中を変える」という人は多いが、「変えたくない」という人は多くない。

というのは、あくまでもメディアの景色のお話なので、現状に満足している人が多いとしても、彼らは「このままにしよう」とは大声では言わない。

一方で、若くして「世の中を変えたい」と行動すれば、それは注目されることも多いわけだが、そうした人の得意技が「子供に成りすますこと」だったりするというのも、まあ驚くといえば驚くが、その知恵も小学生水準だとすれば、別にどうでもいい感じになってくる。

この手の騒動を見ていつも思うのは、宗教改革の話だ。唐突かもしれないけれど、結構シンプルに深い。

ルターの宗教改革記念日は10月31日。考えてみればハロウィーンと同じ日だが、日本ではあまり知られてない。まあ、そうだろう。

もう20年ほど前だが、この日の前後の教会の礼拝に行ったプロテスタントの教会でこのことを知った。その時に「現代において、プロテスタントの存在意義とは」という話になった。

プロテスタント(protest=抗議する)という名前は、カトリックの堕落に対しての抗議である。その後、両者の対立は多くの政争、戦争につながるが現時点ではそれぞれの存在を承認している。

では、この現代において抗議し続けることに意味があるのか?この答は、ハッとするほどシンプルだったわけだけど、こういう話だった。 >> 世の中を変えたい、と言うのなら。の続きを読む



江原引越し

3月に実家を畳んでもう半年が過ぎた。先月は父が他界して3年。否応でも時の流れを実感する。

母が越した後は、すぐに更地になり、分譲住宅が建設されているようだ。いちど更地を見たが、あの不思議な気持ちを多くの人が味わってきたのだなぁと改めて思う。感慨、といえばそれまでだけれど、なかなか文章にはなりにくい。

既に、グーグルのストリートビューでは工事中になっているので、この半年以内に撮影が行われたようだ。

というようなことを妹と話していたら、グーグルマップの航空写真がすごい!という。

なんと、いまの写真は最後の引越しの日だというのだ。

なぜ、分かったのか?それはけっこう単純だ。家の前にトラックが3台止まっている。廃棄物も相当あったので、大仰になってしまったが、そんな日はあの1日しかないのだ。

つまり、母が実家にいた最後の日。家を畳んだ日なのである。

グーグルの航空写真が、偶然にも記念の日だった。いずれこの写真も更新されるのだろう。だから、見られるのは短い間だ。でも、どこか祝福されている気もするのだ。

グーグルの航空写真の更新日は気になる人も多いようだけど、実はこんなこともあったりするのだなあ。



去る日曜日(10/19)のNHKスぺシャル「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年」は、色の威力をしみじみ感じた。75分と言わず、もっといろいろ見せてもらえればと思ったけど、まあ編集も大変だろうし、また次のお楽しみということなんだろう。

で、内容は面白かったんだけど、どうしても気になることがあって、それは「言葉づかい」だった。というか、単純に「ど真ん中」という表現がやっぱり東京には似合わないと思うのだ。

この番組では「東京のど真ん中」「銀座のど真ん中」と2回「ど真ん中」が使われている。別に普段はこの言葉はそうそう気にならないのだけれど、今回は強い違和感を持った。

個人的な感覚だと、ここでは「東京のまん真ん中」の方が、スッと来る。

そもそも、接頭に「ど」をつけるのは関西の言い回しだろう。丸谷才一は、この表現が広まったのは野球中継の「ど真ん中」が影響していたのではないかと推測していた。これは、野球関係者に関西人が多いからではないか?と書いていたのだけれど、正しいと思う。

なぜか、野球選手は関西弁になり、それがまたエセ関西弁になったりすることは玉木正之も指摘していた。 >> Nスぺの「ど真ん中」が気になるんだけど。の続きを読む



今度の台風でも多くの市町村で、避難指示や避難勧告が出たようだ。13時過ぎのニュースだと「指示」が5万人強で、「勧告」は150万人余らしい。

「勧告」よりも、「指示」の方がより強く切迫している状況で発令されて、それほどの事態になったエリアも相当あったようだ。

つまり「指示」>「勧告」となるんだけど、これって結構逆に捉えている人が多いという。最近はよく出されるので、メディアでも話題になっていた。

でも、どうして勧告の方が“強い”ニュアンスを持つんだろう?

と考えると、これはいわゆる「言葉のインフレ」の一つの例と捉えると分かりやすい気がする。

そもそも、「指示」という言葉が、子ども頃からしょっちゅう聞かされている。

一番聞くのは、学校だろう。「先生の指示に従いなさい」という感じだ。で、その指示もロクに守られるとは限らないし、言う方も「どうせ全部は従わないだろ」くらいで、指示を出している。

その後も、上司の指示や得意先の指示など、まあ人はあらゆる指示に振り回されつつ、それもまたどこか適当。でも、どうにか世の中は回っている。 >> 「指示」>「勧告」が誤解されやすい理由。の続きを読む



新潟県加茂市の市長が「自転車は危ないから乗らないで」と呼びかける文書を配って、何かと議論になっているようだ。どうも、賛同する意見はあまりないようで、まあ、そりゃそうだと思う。

自転車に乗れない街づくりしておいて「危ないから乗るな」では、批判されて当然だだろうし、「代わりに市バスを使ってね」では突っ込まれても仕方ない。自動車道の建設には力を入れても、自転車は置き去りだったのだろう。ただ、これは日本全国で似たような環境になっていることだと思う。

で、ふと思い立って地図で加茂市の位置を確認して、「アッ」と思った。新潟内陸で三条の隣りになる。調べて確認すると「新潟三区」だったのだ。

新潟三区、というのは一定以上の年齢の人ならば記憶にあるのではないだろうか。ここは衆議院の旧中選挙区時代における、田中角栄の地盤なのだ。

角栄の政治には当然のように賛否があるけれど、雪国の貧農の家に生まれた角栄が、新潟の発展に尽力したことはよく知られている。そして、その手法は道路建設に代表される公共事業の誘致だった。そして、批判者からは土建政治と揶揄された。 >> 加茂市って「新潟三区」だったんだ。の続きを読む