で、今回の佐村河内氏の騒動を振り返った時、少なくても彼の音楽が「人の心を動かした」ことはあったわけなのだろうが、そのことについてはあまり論じられてない。「全聾」や「親が被ばくした」などの情報があったからだ、ということを指摘するのは簡単だけど、実はクラシック音楽の抱える問題点をあぶり出した気もするのだ。

僕はNHKのテレビで見たのだが、スペシャルではなくて報道番組の一部だった。だから彼の曲を長い時間耳にしたわけではないが、たしかフィナーレの音を少し聞いた時にマーラーの3番を思い出した。

「ああ、このパターンなんだな」と思ったので、僕はそれ以上興味を持たなかった。こう書くと、彼が書いたとされる曲は水準が低いかのように思われるかもしれないけれど、そういう意味ではない。ここで書きたいのは、自分も含めてクラシック音楽を聴く人間の感性や業界の常識が、どこか行き詰っているんじゃないか?ということなのだ。

クラシック音楽というのは、「昔の曲」に聞こえるかもしれない。実際にほとんどの演奏会では「昔の曲」が演奏される。ところが作曲界については、全然「昔のような曲」は作られない。19世紀末ごろから、いわゆる「調性」が消えて行き、つくられる曲はドンドン聞きづらくなっていった。

なんだか、「フヒャ~ン」とか「キィ~ン」みたいな音楽である、といえばわかるだろうか。

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都知事選の最初の記憶は、1971年だ。小学校2年になる頃なのになぜ覚えているかというと、選挙戦が派手なイメージ選挙だったからだ。美濃部陣営は「青空バッジ」をシンボルにしていて、たしか対抗馬の秦野章も他のデザインのバッジを配ったように思う。
この辺りは、たしか「三色バッジ」だったか少々記憶が怪しいのだが、いまにして思うと米国大統領選のようなやり方を日本の選挙に持ち込んだ初めてのケースだと思う。
続く75年はよく覚えているが、石原慎太郎が挑んで敗れた。この辺りの経緯は沢木耕太郎の「馬車は走る」で後に読むことになる。
中学校の卒業式の頃が次の都知事選で、鈴木俊一という、とても地味な人が出ていて、何だかつまらなかった感じがしたことも覚えている。
こうやって都知事選を、その投票率とともに振り返ってみると、幾つかのことがわかる。
まず、出馬した現職が敗れるということはない。
毎回派手な騒ぎになるけれど、一度なった知事は強い。その結果、再選されれば三期以上務めている
そして、何だかんだいって保守が強い。
1995年の青島幸男の当選がまだ記憶にあると、「何かが起きる」というイメージがあるかもしれないが、意外と「普通の選挙」なのである。
また投票率を見ると、50%を挟んでうろうろしている。青島知事の時も「無党派が動いた」というより、低投票率の中で相対的に勝ったような感じだ。前回は衆院選に重なったので例外的だと思う
つまり、メディアの騒ぎが先行する割に都民は結構覚めている。今回など、「投票したい」という他道府県の人も多いだろうし、そういう人から見ると「棄権なんてもったいない」と思うかもしれないが、まあ、それが東京人なのだ。
このあたりは、東京都民の妙なインサイトがあると思う。

 



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「良妻ブーム」というのもかなり変な言葉だけど、日経電子版でこんな記事が出るくらいで、きっかけは半沢直樹の「花」だったのかもしれない。
ただ、これって今に始まったことでもなく、日本の男性の潜在願望という意味では結構繰り返された話だと思っている。
近年のCMだと、サントリー「金麦」だろうか。最近は、女性が飲んでいるが新発売時は違った。「金麦冷やして待ってるから」という設定だった。このCMを好かない女性も結構いたようだし、実際にそういう声も聞いた。
僕が金麦のCMを始めてみた時に感じたのは、サントリーの「遺伝子」だった。あの女性は、同社のウィスキーのCMに出ていた大原麗子を連想させるからだ。いまでも「大原麗子 サントリー」で検索すると動画がたくさん出てくる。今から30年前くらいの作品だ。
いわば「待つ女性」の原型だろう。
今でも、若い人を中心に「専業主婦願望」が意外と強いという調査結果も見かける。(実際は否定的な意見が多い)。この背景についてはいろいろ書かれているので、細かくは触れない。ただ、女性をめぐる価値観は時系列で見ても変化に乏しい。
この具らは博報堂生活総研が公開している生活定点からの紹介。
「女性は子供ができても、仕事を続けた方がよいと思う」という質問に対して肯定的に答えた人の割合の推移だ。
全体に女性よりも男性の方が低い。そして時系列的には、ほぼ横ばいである。細かい年代別の数字はデータを見ればわかるが、最新のデータでいうと女性では20代が一番低い。三女差はあるが、乖離が進んでいるわけではないのだ。
良妻「ブーム」というよりも、ずーっと根強くイメージされているのだろう。
女性が働きやすい環境をつくることは当然し、そういう政策が進むのもいと思う。
でも、最大の岩盤は「良妻」という概念なのかな。これは、手ごわい。



大学生など若い人がネットに過度に依存している「情報偏食」の話をすると、必ず疑問が聞かれる。
「じゃあ、マスメディアはバランスがいいんですか?」
これに対しては、「ジャンクフードより定食の方がいい」としかいいようがない。ただ、この定食もかなり癖が強くなっている。新聞も社によって、かなりスタンスが変わる。皆が同じよりはましかもしれないが、何かこう頑固というか極端な感じが強い。
新聞などはさまざまなカテゴリーのニュースを掲載しているという意味では、たしかにバランスのいい定食に見えるが、味つけや盛り付けは、それなりに偏っている。
僕はたまたま妙ないきさつから、高校生の頃からしばらくは家で3紙もとっていたし、その後もメディアに近い仕事していたので、癖は大体わかる。というか、新聞を若いころから読んでそれに対する批判も知っていれば、だいたいバイアスを自分なりに制御するだろう。
「ここの漬物は塩がきついから残す」「この揚げ物は全部食べると重すぎる」とかいうようにで食べる感じだ。
つまり、新聞の記事もすべて読み込むわけではないし、論説を鵜呑みにするわけでもない。
中には極端な味付けが癖になる人もいる。原子力発電関連の記事などが新聞によって極端になるのは、「もっと刺激がほしい」という客が一定数いるからだろう。まあ、その結果どうなるかはともかく。
一方で、ネットで好きな情報ばかり集めるのはジャンクフードみたいなものだ。米国にcomfort foodいう言葉があって「心地よい食べ物」なんだけど、これはホットドックやハンバーガなどを指す。日本だったら、それに加えてラーメンや牛丼だろうか。

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いま、新聞が面白い。と書くと「本当か」と言われそうだが、部分的にすごく気になるコーナーがある。たとえば読売の「人生案内」だ。
以前はネットでも読めたと思うのだけど、最近は「プレミアム会員」ではないと読めないらしい。ただし、リードだけは読める。で、続きがすごく気になるのである。
こちらに並ぶ見出しが、何とも味わい深い。
「勝手に我が家に入る80代姉」これは70代後半の女性から。
「20年前、夫が初恋の人と旅行」これは80代の女性より。
「亡き妻の友人に会いを感じる」そしてこちらは80代の男性。
そうなのだ。全体的にかなり高齢化している上に、男女のもつれが相当に目立つのである。
中には「農村の婦人会、抜けたい」とか「妻からゴミ扱い、蒸発したい」など、それはそれで気になるものもあるが、何といっても色恋沙汰のパワーは一頭地を抜ける。
ビバ恋愛、フォルツァ・シニア。
だから、ちゃんと「男と女」というコーナーもある。

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