仕事で”生かされている”という感覚。
(2012年1月6日)

カテゴリ:キャリアのことも

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正月休みが明ける頃になると、ちょっとした孤独感に見舞われる。
フリーになると、12月20日頃に店じまいとなり、正月のスタートも遅い。別にさぼっているわけではない。しょっちゅうクライアントに通うようなビジネスではないので、年末年始は先方もいろいろな年中行事に追われるのである。
二週間ほど社会と離れて、昨日あたりからさすがに稼働しなくてはいけないのだけれど、ここにちょっと時間がかかる。昔のクルマの「暖気運転」という感じだろうか。なじみの店に行って、好きなものを食べて、そのあたりからようやくその気になる。
会社にいた頃は否応なく、仕事が動き出す。一方で、「自分で自分を立ち上げる」というのは、それなりに初期エネルギーがいるのだ。
しかし、仕事のメールが来たりして「やらねばなるまい」という気になってくると、アタマの回転数も自然に上がってくる。
そして最近になって思うのは、「仕事を通じてまわりの人々に”生かされている”んだな」という感覚なのだ。
たしかに、僕は自分一人で仕事をしている。しかし、それは仕事を頼んでくれる人がいるからであって、その人たちに”生かされている”ということが厳然たる大前提であり、仕事とはそうした結びつきなくしては成り立たない。
世捨て人のように、山奥に一人住み働く陶芸家のような人もいるが、誰かがその人の茶碗でも買わなければ、飢えるだけだろう。人が働く上で人との関係は必須だし、だからこそその関係で多くの人が悩むのだ。
なんでそんなことを考えたかというと、高広伯彦さんの『「嫌われ者」は周囲が作り出すのではない。』というエントリーを読んだからだ。僕は、引用元のブログも読んだのだけれど、実は何度読んでも意味がわからなかった。


正月ボケで自分がバカになったのかと思ったけど、どうもそうではないらしい。
結局は”生かされている”という感覚の有無なんだろうなと思う。
だから僕にとっては「やりたくないことはやらない」なんて発想はできないし、まして「嫌われ者」などになるなんて恐怖そのものである。
仕事だって、「やりたいことをやっている」ように思われるかもしれないが、本当にやりたいことは一日中ネコと遊びながら音楽聞きながら小説読んで、たまには知らない所を旅したいということだ。
そんなわけにもいかないから「できること」をできる限り丁寧に提供して、仕事をするように心がけている。
ただし、最近はいい音楽や小説、そして素晴らしい風景などに接すると”与えらえれている”という感覚になる。それは、仕事で周囲に”生かされている”感覚にも通じる。
まあ、50歳近いオジサンの戯言に聞こえるかもしれないが、この受け身の感覚というものを大切にすることで、自分自身の「やりたいこと/やるべきこと/できること」もわかってくると思うのだ。
そんなわけで、今年もよろしくお願いします。