「大企業を辞められない人」の理由って何だろ?
(2018年2月8日)

カテゴリ:キャリアのことも

昨日、会社を辞めるか迷っていた頃の思い出を書いた。

結局僕は辞めたけれど、それは「深い谷を飛び越える」ような感覚だった。マリオだったらやり直しはできるけれど現実は違うわけで、だからこそ踏み切れない人は多い。

ことに大企業に長く勤めるほど、谷を越えることは難しいだろう。

ただし、これからは多くの人がこの問題に直面すると思う。最近のメガバンクの方針が象徴的だけれど、「業績に関係なく人員削減」という流れが生まれてくるように思うのだ。

「人手不足だから売り手市場」という考えは甘いかもしれない。「今後も人手不足が続くなら、人手のかからないモデルにしよう」と考えるのが企業経営のロジックだ。

そこにAIなどの技術革新が加わって来る。

だから、大手企業に勤めている人ほど「いつか飛び出す」ためのシミュレーションをしておいた方がいいだろう。

では、出る人と出られない人にはどんな違いがあるのか?これは能力だけの問題だとは思わない。

で、敢えて言えば「どんな記憶に頼っているか」という違いじゃないかと思う。

僕自身を振り返ると、「想定外のことがあっても、どうにかなるだろう」と思ったから辞めた。それは、過去の人生で「どうにかなった」記憶の方が強いからだ。

ところが、多くの人は「頑張ったから、うまくいった」という記憶を頼りにしているようで、こういう人は会社を辞めにくいんじゃないか。

「どうにかなった記憶」の人だって、多分努力をしている。僕もそんな気がするが、人に説明しようとすると思い出せない。ただ、「運が良かった」話は思い出す。

「頑張った記憶」の人は、典型的には受験やらスポーツの記憶を頼りにする。仕事を始めても、同じような記憶を重ねていくようだ。そして「頑張って褒められた」という記憶もあるようだが、僕はそういう記憶がない。

でも、これからの社会は、というか既に今の社会は「どうにかなる」くらいで動いていかないと、うまくいかないんじゃないか。そして、日本は「頑張った記憶」に頼り過ぎていることが、いろんな問題の根っこにあるようにも思う。

まず、「やればできる」という教育は見直した方がいいだろう。企業のエントリーシートでも「挫折から立ち直った経験」とか書かせて、「頑張った記憶」を強化している。

たとえば「予想外のことが起きたけど運よくどうにかなった経験」とかを書いてもらったらどうなるんだろう?結構いろんな人に助けられたり、自分で頭を使ったりしたはずなのではないかな。

まだまだ大企業依存が強い日本で必要なのは、「いざとなればどうにかなる」記憶をみんなが再構築することかもしれない。ベンチャー精神というのは、すごくタフな人じゃなくても持てるわけで、それって社会全体が「どうにかなる」と思えることだろう。

そして、「頑張ったから成功」の記憶を捨てられるか。いや、憶えていてもいいけど、そこに頼らずに生きられるか。

そこが、大企業の勤め人にとってもっとも難しい気もするのだが。