会社を辞めて独立してから5年半経った。
その間、古巣の広告市場は大変動だった。経済変動とメディアの技術革新で風景は一変している。
当然インターネットの影響は大きい。
しかし、考えてみると独立事業者としての自分はネットの恩恵をフルに受けてきた。
まず、第一に営業コストが削減される。ネットがない時代は、事務所を構えて、秘書(または同様のサービス)がいて、会社組織にすることで、まず「信頼」を得る必要があった。
いまだに1人の個人事業主だが、これもホームページで発信できて、かつ依頼を受けられる仕組みがあるからだ。
素晴らしいではないか。
次に、モノや情報の収集において個人と組織の差が減少した。会社を辞める時「情報が入ってこないのでは?」と主に年配の方が心配してくださり自分も気にはなったが、それは杞憂であった。
政府の調査データなども簡単にダウンロードできるし、検索エンジンでナマの声も拾える。
実は研究で助かるのは古書の入手が恐ろしくラクになったことだ。絶版の本を求めて神保町を彷徨したり、早稲田から高田馬場まで歩くこともなくなった。これは本当に重宝する。
さらに、人的ネットワークの広がりと絆。これについては、多くのインディペンドのプレイヤーが実感していることだろう。
ここで、当たり前の「ネットの可能性」を自分なりに整理してみる。

さて、昨日に引き続きmixiのCMを素材にしてメッセージ分析を試みてみよう。
今回は価値構造についてである。まずはクラシックな価値構造分析をおこなってみた。
とっかかりはキャッチコピーである。「mixiってる=つながってる」と読ませているので、機能価値は「つながる」ということと分かる。
問題はこの先、情緒価値から社会・生活価値への流れなのだけれど、これが3つのCMで異なっているように見える。
一般的には1つのブランドでは1つの価値構造を持たせるので、そういう意味では定石とは異なる面もある。
あえて言えば、「卒業」と「茶色い犬」は情緒価値的には「しっとり」という意味で類似している気もするけれど、「卒業」篇は現在イキイキと働いている姿が映るので、単なる「しっとり」とも異なる。
昨日見たようにセグメントも多様であれば、訴求価値も「mixiってる」以外はまた多様になっているのである。
なお、このキャッチコピーだが「mixi」というブランド名が含まれている。こうした「ブランド名読み込み」のコピーが採用される場合は大体2つのケースがある。
1つは「ブランド名の認知向上」に目的が徹している場合。
2つ目は、コピーがブランド価値をうまく言い当てられず、コピーライターが悩んでしまった場合である。
今回の事情はわからない。ただし3つのCMがそれぞれ異なる価値を訴求しているということは、そもそも「mixiの価値は一言で言い表せないから」からこそ生まれてきたということもあるだろう。その結果、「mixiってる=つながってる」という「当然だけれど圧倒的に正しい機能価値」がキャッチコピーになったという可能性があると思う。その上でいろんなターゲットや価値構造を順列組み合わせ的に考慮して制作されているように見える。
実は、違和感の正体はここにある。
mixiのCMが流れている。ホームページのここを見たら3篇作っているようなのだが、一通り見た時にちょっとした違和感を感じた。
何でかな、と思ってノートに分析してみたら、すぐに分かった。
今日の内容は3篇とも見ていただくことを前提に書いているのだが、結論から言うとこの図表のように「見事なまでに」異なる属性のセグメントを描いているのである。
基本的には「はじめよう」ということで登録制にともなうノンユーザー狙いだと思われるが、それだけでもないようだ。
「卒業」篇は地方の高校を出て上京していくというストーリー。ローカルエリアを睨んでいるのだろう。描き方はミドルユーザーに見える。
これは「距離が遠くなる」というタイミングで、SNSの情緒価値を強化しようとする意図に思える。
「友だちと一緒に」篇はOLだが「同期」という非公的ネットワークへの帰属である。1人のOLはヘビーユーザーのようだが、もう1人はノンユーザーのような描き方だ。エリアは都市部。
「茶色い犬」篇は子どものいる会社員男性。一戸建てのようなので郊外のイメージだ。帰属は家族のように思えるが、mixiでつながっているのは会社の後輩のようなので、これによって先のOL篇とは補完関係にある。
違和感、というのはCMを見ているのに、何だか「企画書」を見ているような気分になるのだ。というか、オリエンテーション、プレゼンテーション、さらにはその後の議論などが何となく創造できる。
4月から大学の講義で「広告分析による戦略読解」を取り入れようと思うのだが、このCMなどは格好の材料になりそうである。
CMへの評価はそれぞれだとは思うが、今回はあくまでも戦略分析の素材ということで読解を続けたい(つづく)
※注:mixiのHP内にはこの3篇のCMのつながりや背景についてのページがあるが、今回はあくまでもオンエアしている3篇のみを分析素材にした。
広告代理店がブランドマネジメント手法を開発して「主力商品」に育てようとしてからどのくらい経つのだろうか。
と思って、自分のことを思い出した。僕が代理店でシステムつくりのメンバーになって、「ブランド本」を出したのが1998年で、もう12経っている。(本題と関係ないのだが何となく呆然...初めて自分の名前で論文出した時ってまだ34歳だったのか...)
と、気を取り直して「広告代理店がブランド構築に関わる」ということについて、ちょっと考えてみたい。
広告代理店が企業のブランド構築を主導すると、幾つかの「クセ」が出てくる。それが最近曲がり角に来ている気もするのだ。
まずは、コミュニケーションを重視したがること。場合によってはマス広告に「落とし込む」ことばかりを考えているような人もいる。概して年配の営業に多いのだけれど、これはもはや通用しないだろう。
そして、全体的に情緒価値を重視したがること。「機能だけではなく、消費者との絆を大切」というのは正論なんだけれど、情緒価値だけの差別化は、景気後退時には通用しないことが明らかになりつつある。
その結果、ブランディングの対費用効果については「ムニャムニャムニャ」になってしまいやすい。
しかし、一番困難なことは情報量が飛躍的に増えた結果、企業が想定したブランド価値が伝達しにくくなっていることだと思う。丁寧に価値規定をしたところで、消費者はブランドをさまざまな面から知るようになった。
佐藤浩市は謎だ。
実は、ビール会社のCMの中でも何年かにわたって転職もしているようだし、飲むものも変化している。
たしか5年ほど前までは1人で飲み歩いておいしそうなモノを食べていた。カウンターで隣り合わせになった若い女性にメニューの漢字の読み方を教えたりして。
で、翌年にはいきなり会社の管理職になっていた。景気がいいのか、部下連れてタクシー拾って屋形船でみんなで飲んでいた。
この頃はビールが好きだったらしい。
そうしたら去年は海辺のようなところで、1人で飲んでいた。仕事は辞めたのか、元々オフの日なのか。1つ気にかかるのはビールから発泡酒に転向したことだった。何かあったんだろうか。景気も悪いし。
とか思ったら、今年はまた上司になっていた。そうか、やっぱ会社員だったのか。いいことがあったようで、オフィスで部下とハグしている。
ただ、その後屋上のようなところで、やはり1人で発泡酒だ。みんなで行けばいいのに。いや、ブランドによって「帰属」とか「コミュニケーション」とか「達成」とか事情があるとは推測できるんだけど。
謎はここにとどまらず、彼は女性の部下の前では、またかなり違う側面を見せる。厳しかったり、悔しがったりするんだけど、今度はクルマに乗って、いきなり走り出す。
いいのか、さっき屋上で飲んでたんじゃないのか。
よく見ると、この会社、ネームプレートが英語だったりしてどうやら外資系に見える。
佐藤浩市、転職していたのか。この厳しい時期に。
そういえば、彼は育毛もしっかりやっているのか。さすが「理想の上司」スキがない。
人事の季節になった。辞めた頃は、自分のいた会社の異動記事を読んでいたが、最近は気がついたら終わったりしている。もっとも今年は大きな異動があり、僕の現在のクライアントから「どうなってんですか」と解説を求められることが相次いだので、久しぶりに読み込んでしまった。
まさか、その解説はここに書けないけどね。
で、最近思ったマーケターのキャリアパスについてちょっとメモ。
趣旨は、マーケターは「いわゆる本社部門」を経験するといいよ、という話。つまり、経理、財務、人事、経営企画などの部門である。
僕自身、会社生活最後の3年は人事にいたのだけれど、これは本当に後で役に立った。経験も踏まえてその理由を3つほどにまとめておく。
1つは、マーケティング活動をバランスよく見ることができるからだ。マーケティングはカネを使ってカネを稼ぐ。当然攻めの発想になるけれど、視野が狭くなることもある。本社部門に行くと、カネやらヒトやら会社の「資源」をどう使うかという視点が身につく。マーケティングに費用対効果が求められる時に、この経験は大きい。
北教組関連のニュースで思い出したのだけれど、小中学校の頃の先生の影響力って、どのくらいあるのだろう。ブランドについては「超長期記憶」というカテゴリーの研究があって、子どもの頃のブランドイメージがその後どう影響するかを調べた研究があって、一定の関連を認めていたはずだけど。
僕が思い出したのは小学校の頃の先生の「政治的プロパガンダ」である。都内の区立小学校だったけど、まず1~2年の担任は大変分かりやすい左派の若手女性教師だった。
ギターを持ってきて
♪しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが♪
という「しあわせの歌」とかがお気に入りで、こういうのは音楽の時間ではない時に教えられた。インターナショナルも聴いたと思う。もしかしたら道徳やホームルームの時間だったのかもしれない。
まあこの手の先生は珍しくなく、妹の担任の持論は「皇居の下に地下鉄を通せ」だったという意図不明なものだったりしていた。
しかし、今にして思うと5~6年のベテランの女性教師は、かなりすごかった。巨大で、かつ国政に強い影響力をもつ某宗教団体の熱心な「学会員」だったのだ。
それは結構授業にも反映されていて、6年の時には当時の会長で今もなお影響力を持つ某氏の詩が、模造紙に書かれて黒板の上に貼られていた。
なお、児童全員がその暗唱をおこなっていたのは言うまでもない。それ以外にも、道徳のテキストにはその手の話があった気もする
ただ、今となっては全くと言っていい程覚えていないが。
なお、この先生は結構最近まで選挙の前になると僕の実家に来ていた、と親から聞いた。
まあ、今の学校でこんなことやったら大問題だろうけれど、特にそういうこともなかった。中学校以降にその手の記憶はない。いったい何だったのだ、あの小学校は。
マーケティングROIについての基本的な文献として、その名も「マーケティングROI」と言う本がある。(J.Dレンズゴールド/ダイヤモンド社/2003・日本語版2004)
この中で広告に関してこんな記述がある。(65ページ)
###(以下引用)
目先の販売増加を狙った大衆向け宣伝活動がある一方で、水準の高いブランド広告は、長期にわたって持続する顧客との感情面での結びつきとブランド選好をつくり出し、またその企業に関する株式市場の評価にまで影響する可能性がある。この種のブランド戦略に関する投資判断を、無理に標準のマーケティングROIの等式に当てはめようとすることは現実的ではない。個々の投資ごとに増分価値を見極めることは不可能だからだ。本書に紹介するマーケティングROIのプロセスを用いて、この種の投資を管理する目的のためには、これらの広告を一般管理費として考えるのがよい。そのうえで、ブランド広告をブランド・エクイティ(ブランド資産)の算出法を用いて管理できれば、その投資測定法はいっそう強力なものになる。
(引用ここまで/下線山本)
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一読してわかるとおり、ブランド広告の効果をROIの視点では測りきれないと言っている。もちろん、これについては以下のような疑問も提示されるだろう。
新幹線「のぞみ」でトラブルが続いている。床下から煙とか天井から異音とか。
ある記事によれば、N700系の初期故障が出る時期だという。故障した車両に乗りたくはないが、いきなり大トラブルよりはバグを修正してもらった方がマシなのかもしれない。
初期故障、という表現で思い出したのだが、社会人のキャリアでも「初期故障」はある。新卒3年目くらいまでの会社員が「こんなはずじゃなかった」状態に陥ることだ。決定的に壊れるのは本人も周囲も困るけれど、適度な初期故障はかえっていいのかな、と思うことがある。
程度の差はあるけれど、自分の仕事や会社のあり方についてアタマを悩ませて悶々とすると「会社と自分の関係」について自分の言葉で考えられるようになるのだ。
初期故障をちゃんと修理できれば、やがて巡航速度に乗る。そして初期故障の効果は、後輩を持つ頃に現れるのだ。同じような初期故障を起こす後輩に対して「会社っていうのはね」と自分の言葉で説明できる。
いまどき初期故障に無縁だった社員はむしろ単に盲目的だったりする人も多い。この手の社員が30歳くらいになると妙に若手に対して威圧的になる。
マネジメントから見れば、適度な初期故障を起こさせること。つまり入社間もない若手が「こんなのでいいんでしょうか」と言いやすい空気を作り、それに対してオープンに話しあえるのがいいのだと思う。
いまどき問題のない職場はない。でも一番の問題は、それを隠すような濁った空気なのだと思う。