日本人への贈り物。ドナルド・キーンの『石川啄木』
(2016年12月9日)

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51huonnfobl【読んだ本】 ドナルド・キーン 『石川啄木』 (新潮社)

伝記は難しい。事実を並べるだけなら年譜で十分だし、それなら各地にある「記念館」に行けばいいだろう。

しかし、伝記にも作者がいて、そうである限りは切り取り方が問われる。その記述が、伝記対象者の作品解釈にまで影響を与えることもあって、それが難しさの根っこにあると思う。

日本におけるベートーヴェンの「楽聖」イメージは、ロマン・ロランの伝記による影響が大きいが、それによって音楽そのものへの感じ方が偏向したとも言われる。

逆に「アマデウス」のように、一本の映画によってモーツアルトのイメージは大きく変わった。

伝記作者としての1つの方法は、事実をできるだけ多く集めて多面的に記述することだろう。その1つが今年刊行された立花隆の『武満徹・音楽創造への旅』だろう。

もう1つは作者の視点で情報を削ぎ落して構築する方法だろうが、この『石川啄木』はそちらの方に近い。

僕にとって石川啄木は、もっとも好きな歌人だ。とはいえ、学生時代から関心があったわけではない。30歳を過ぎた頃に歌集を読んで、改めて驚いた。

過去の作家を順位付けするのは僭越だとは承知の上で書くと、日本人で「天才だなあ」と思える人は啄木と太宰治になるかな。まったく個人的な感覚だけど。

ドナルド・キーンのこの一冊は、日記を中心とした研究が反映されているが、「研究本」ではない。だから、研究者的視点から見ると議論の余地があるかもしれない。

しかし、伝記の読み物としては第一級だと思う。これは、啄木を知らなくなった日本人への贈り物ではないだろうか。

啄木は、困った人だ。読んでいると歯がゆくなることが多い。そして、決して友人にはなりたくないようにも思うが、近くにいたら構ってしまうかもしれない。

そんな矛盾に満ちた存在だからこそ、あのような歌が詠めるのだろう。内面には大変な葛藤があるからこそ、作品はその心の蠢きを乗り越えるかのように高い完成度を見せるのか。

先の武満徹と並んで、今年の伝記文学の双璧なんじゃないか。

そして、まず歌集を改めて読んでみるのもいいかもしれない。