「有名人とCMと文化」についての整理。
(2016年1月12日)

カテゴリ:マーケティング,広告など
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「有名人をコマーシャルに使わない文化」という記事があった。この記事では、最近のニュースなどを見て有名人の私的な領域と、業界の掟についていろいろ書かれている。具体的なことは一切書かれていないのだが、途中で「有名人をコマーシャルに使うということが、アメリカなどでは比較的ない」と書かれた後に、こうした結論になる。

(引用)『「有名人をコマーシャルに使わない文化」の背後には、「人間尊重」の哲学があるのではないかということを、昨日は考えていた。』

個人が考えてエッセイ的に書いてることだし、やや唐突な「三段跳び論法」みたいなものに細かいツッコミは野暮だと思うだけれど、広告やマーケティングについての無用が誤解が広がるのもどうかと思うので、「有名人とCM」について簡単に書いておこうと思う。

・タレントCMは日本特有なのか?

この方も米国との比較で書かれているが、たしかに米国よりは多いと言っていいだろう。米国のハリウッド俳優がCMに出ることは少なく、日本国内でオンエアするものだけに出演することもある。

ただし、世界には米国以外の国もあるわけで、アジアの国では日本のような「タレント広告」も多い。これはネットで調べてもいろいろとケースがある。

また、同じ有名人でもスポーツブランドの広告に選手を起用することはある。ナイキの広告にジョーダンが出演して以降、このような起用は多い。

・なぜタレント広告が多いのか?

ある日本のメーカーの宣伝部長が講演で言っていたことがわかりやすい。それは「タレントは拡声器」ということだ。つまり同じオンエア回数のCMを比較すると、タレントを起用した方が圧倒的に認知が高まる。これは当然データでも見えている。

ただし、これは「認知」までの話であって、そのブランド価値を継続的に理解して好意を持ってもらうのであれば、必ずしも適してはいない。CMの登場人物の行動にブランドが左右されるのは、企業戦略としては好ましくないからだ。(もちろん戦略によっては成功例もある)

つまり「認知優先」のマーケティングをするならば、タレント広告にも意味がある。米国でそれが少ないのは、こうした戦略の差異によるところが大きい。そう考えると、スポーツブランドにおける選手起用も納得できる。彼らは、単なる有名人ではなく、ブランド価値の体現者だからだ。

・日本は「人間尊重」の哲学がないのか?

左記の記事の文中に、「人間のことを経済の道具としてしか考えていない」文化を批判している。これを議論するのは相当困難だけれど、例えばフランスおいて近年話題になっていることに、「モデルの健康」の問題がある。昨年12月には、こんなニュースがある。それによると、フランスで「痩せ過ぎ」のファッションモデルに対しショー出演などで健康的な体重維持を保証する医師の証明書提出を義務付ける新たな法律を可決した、ということだ。

このニュースを見れば、フランスには「人間尊重」の哲学があるようにも思える。ただし、そういう法まで作るほど、ファッション業界の競争は激しいということだ。この法の制定については、ファッション業界内には反対の声もあったという。人間を「経済の道具」として使う文化が、どの国に特有かどうかはそうそう簡単には断言できないだろう。

米国のプロスーツ選手には莫大な報酬が支払われるが、その背景に「経済的期待」はないのだろうか?と考えれば、そうそう安易に決めつけられる話ではない。

この記事は、落語における「横丁のご隠居」のお話であれば、別に構わない。

「結局、人間尊重の国は有名人をCMに使わないってことなんだな」

「へぇ~、さすがご隠居物知りで」

ただし、メディアにおいて書くのには少々粗いかと思う。広告の仕事は特有の「業界」の話ではなく、そのプロセスに関わっている人の多くは普通のビジネスパーソンだ。そういう人たちにまで、無用の誤解が広がらないように敢えて書いておこうと思ったわけだ。