なぜ、ZOZOTOWNの箱は道端に捨てられるんだろ?
(2017年7月13日)

カテゴリ:マーケティング

先日、自宅の近くを歩いていたら結構大きい箱が捨てられていた。黒い箱に、白抜きで「ZOZOTOWN」の文字。

誰が見てもZOZOTOWNの箱だ。僕も受け取ったことがある。で、この箱は買った人が捨てたのだろう。すぐ近くに段ボール箱の集積所があるのでとりあえず持っていった。何も、こんな目立つところに捨てなくもいいのになあ。

と思っていたら、一週間後に別の場所に箱が捨てられていて、またもやZOZOTOWNだ。一緒に別の箱も捨てられているが、これはどこの箱かわからない。

これは、偶然なのだろうか。多分、そうだろう。しかし、ブランディングって難しいもんだよな、と改めて思う。

この捨てられてる箱を見た人は、どう思うだろうか?

「ああ、ZOZOで買ってる人って“こういう人”なのか」
こういう人がどういう人かは分からないけれど、まあ全体的には年齢が若いことは推測できる。そして、「ちょっとダメな人」なんじゃないかと思うだろう。

まして、自分もZOZOTOWNのユーザーだったりした場合は、「嫌な感じ」がすると思う。これって、「着ている服がかぶる」とかいうよりも、良くない感じだ。自分の乗っているクルマが、知らないうちに「社会的に困った人々」に愛好されているとか、そういう感じじゃないかな。
ちなみに捨てられた段ボール箱が、「X社の扇風機」だったらどうだろう。「X社ユーザー」が困った人なのではなく、「単にマナーの悪い人がいるなあ」と感じるくらいだ。
「家電のX社」に比べれば、ZOZOTOWNは顧客を選んできた。書くと陳腐だけれど、ファッションに敏感で、かつ合理的な買い物をする人。百貨店やスーパーやSPAはもちろん、セレクトショップなどに行くよりも「新しい買い方」を選ぶ賢い人。

もちろん、そういう顧客は服の選択を含めて「センスのある人」なくてはならない。そして、彼らの満足度を高めるためにオリジナルデザインの箱をデザインしたのだろう。

茶色い段ボールではなく、「シュッとした」ブラックの箱は「賢い選択」を確信させるはずだ。

ところが、その箱がポイと捨てられている。もちろん、それは偶然かもしれない。でも、僕の自宅の周辺で箱が捨てらていること自体が滅多にない。それなのに1週間で、2サンプル。それが統計的に有効とは言わないけれど、「嫌な感じ」は十分に漂う。

「たまたま、そういう人がいただけ」

それで済ませることもできるだろうが、これは「早期警戒信号」にも見える。

ブランディングで一番大切で、かつ難しいのは「顧客選び」だ。

「賢くてセンスのいい人」に買ってもらいてくても、「空き箱を道端に捨てちゃうような人」を排除する仕組みはない。
それにしても、道端にはいろんな情報が落ちている。