最近はあまり聞かないな、と思っていた言葉に「生きにくい」とか「生きづらい」というのがあったけど、少し前にとある女優のインタビューで見た。

上野樹里なんだけど、「日本は生きづらい」という見出しで読んでみると、別に日本社会の問題を指摘してるわけではない。自分が有名になり過ぎていろいろ神経を使ったというだけの話だった。彼女は海外で映画出演しているので、そのように思ったんだろう。

で、これが一部でいろいろ言われているそうだけど、まあそのことじゃなくて、この「生きにくい」「生きづらい」ってどうして言われるようになったんだろうか。

感覚的には、いわゆる「格差」が広まったといわれるここ10年くらいではないかと思う。ただし、こればかりは個人差もある。性格や環境も影響するので、「2000年代初頭の日本」の問題なのか、あるいはそもそも人が生きていく上で付きまとうことなのか?ということが気になるのだ。

とりあえず、ここ最近の日本で起きていることだとすればなせだろうか?たとえば若年層が未来に希望が見出しにくいとか言うこともあるだろう。また、何か言葉を発するとすぐに叩かれて「空気読め」と言われるような「一億総姑社会」のようなことも背景にあるかもしれない。

一方で、自分自身を考えると「生きるのは大変だ」と思ったことはあっても、それは自分の問題だから自分でどうしようか?と考えてきた。生きづらい「社会」がそこにあるのではない。うまく生きていけない自分がいる、という認識だった。 >> 「生きにくい」とか「生きづらい」とかを疑う。の続きを読む



ハロウィンが去った。一部の報道では「ハロウィン騒動」と書いていて、もうそこにはハナから悪意を感じるわけなんだけど、なんかいろんなことが「クッキリ分かれた」イベントになってるな、と思う。

で、いろんな溝が見えてくるなあ、と思うのだ。

まず、「仮装する人と、仮装しない人」がクッキリ分かれる。これは年代の要素も多そうで、若い人が多いのはまあわかる。あと、子どもたちに便乗するように親も参加するんだろうか。結構職場で盛り上がっている人もいるようだ。

結局、どういう仲間に帰属しているか?ということが大事なんだろう。僕のように1人で仕事して、休日も好きなことしてマイペースなので「仮装するぞ」という空気にすら触れていないのだ。

あと、地域によってもクッキリ分かれる。とにかく繁華街に集まる。その象徴が渋谷ということなんだろうけど、日本各地ではどうなんだろう。結構極端な都市型のイベントになっている。

そして、一番気になったのが「ゴミを捨てる人と拾う人」だ。どんな人が捨てて、どんな人が拾うのか。

拾う人は何となくわかる。翌日のSNSで知り合いが実際に活動しているのを幾つか観た。普段から、いろんな社会活動に取り組んでいる人が多い。じゃあ、捨てる人ってどんな人なんだろうか。
日本の街は概してきれいだと思うし、煙草のポイ捨ても条例の効果か減っているように感じる。ずさんな人もいるとはいえ、結構七面倒くさい分別もそれなりに機能している国で、ハロウィンの日、特に渋谷がゴミだらけになる。捨てるのは、どんな人なのか?
翌朝に取材した記事を見ると「思ったよりゴミが少ない」とも書かれてる。ただ、それはハロウィンの日に小中学生が結構拾っていたからともいう。 >> ハロウィンで「捨てる人」と「拾う人」の深い溝。の続きを読む



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近所を歩いていたら、とある家の垣根に紙が貼ってあった。

「アベ政治を許さない」

最近、掲示板やデモのニュースで見たあの書体だ。ただ自宅に掲出しているのを見たのは初めてだった。いつまで貼っておくのか、来年の正月はこの脇に門松を並べるのかな?とか、一層のことあの書体で「謹賀新年」と書いたらどうなんだろうとか、関係ないことを思いながら歩いているうちに、この言葉への違和感をどこかわかった気がした。

調べてみると井戸まさえさんのブログに、赤木康伸氏のfacebookからの引用が紹介されていた。赤木氏は「政権・政策批判というよりは、安倍晋三氏個人への悪意が感じられる点」に引っかかりを覚えるということだ。

僕が引っかかったのは「許さない」という方のフレーズだ。そもそも、「許す」というのはどういう時に使われる言葉なのだろうか。

普通に考えると「許す/許さない」を決めるのは、「力を持っている人」だ。それは、個人・法人に対して官公庁がおこない、社員に対して企業が行ったりする。親が子供に対して行うこともある。

「現行の政治を許すかどうかは、私たち国民が決める」というのは、国民主権の概念からいえばたしかに、この言葉の使い方が間違っているわけじゃない。しかし、「許す/許さない」を決めるのは相当の覚悟がいるはずだ。 >> 「アベ政治を許さない」への言葉的違和感。の続きを読む



政治に関する話題、ことに海外に関することは門外漢なので書かないことが多いのだけれど、毎朝NHK-BS1のワールドニュースを見ているので、欧州難民の話は相当気になっていた。

日本では、マーケットの激震と五輪に関するゴシップばかりが目立った8月後半から欧州ではドイツのZDFや英国BBCなどで、中東からの難民問題がトップニュースになってきた。各国の世論が「受け入れるべき」に変わったのは、9月2日に報じられた一枚の写真だ。トルコに漂着した3歳の遺体の姿はたしかに強い力を持っている。日本の報道では、兵士が遺体を抱き上げている姿で、一部がモザイクになっていたが元の写真には、さらに強烈なものがある。(こちらがロイターのリンク先だが、衝撃度が強いので閲覧は各自でご注意ください)

ただ、8月28日はオーストリア内で高速道路のわきに停車されたままの冷凍車から71人の遺体が発見されるという衝撃的な事件があった。これにも相当驚いたが、幼児を写した1枚の写真の方が世論を動かした。ということは現在の世論にも相当に情緒的な面があるということだろう。

いまでは「難民歓迎」をキーワードにするような記事もあるが、それは一面を映したものだと思う。既に英国の世論調査ではEU離脱賛成が5割を超えたが、これは難民問題の影響と見らている。また、デンマークでは難民への規制を強化する動きがある。

一方で、難民を受け入れることに積極的なのは、ドイツだ。その目標は80万人というから、それは人口の1%だ。一方で、ドイツの出生率は低く、昨年は回復傾向にあるが出生数は71万人

つまり、1年分の出生数以上の人口増加を想定していることになる。日本だと「120万人受け入れ」というイメージだ。 >> ドイツの「採用戦略」と、ハンガリーの歴史~難民問題を巡っての続きを読む



大騒動のFIFAで、会長が再選された。あまりサッカーに詳しくはないのでその是非を論じるつもりもないんだけど、あの挨拶の最後は驚いた。

両手を挙げて、“Let’s go FIFA!,Let’ go FIFA!”とのたまう光景を何と表現しようかと思って「薄ら寒い」という言葉が思い浮かんだ。

79歳になってなお権力を求める男が、たどたどしく両手を挙げて、日本でいう「ガッツポーズ」みたいな恰好で”Let’s go”だ。

このフレーズは、英語というよりも「レッツゴー」という誰もが知ってるフレーズで、でもよく考えると意外と口にしてないし、身近では聞かない気がする。昔の青春ドラマの熱血教師が口にしてたのかもしれないが。

ただ、今回の”Let’s go”ほど、トホホ感のある”Let’s go”は聞いたことがない。

それにしても、この薄ら寒さって既視感があるなと思ったけど、それは選挙の後の「万歳三唱」に近いかもしれない。ことに汚職などが取り沙汰された人が「みそぎ」と称して出馬して勝ったあとの選挙。

五十肩を疾うに過ぎて、万歳するにも腕が上がってないような議員の万歳と、あのブラッターの姿はどこか通じるものがある。傍からはうかがい知れない権力への執着心が凝縮された感じというのか。 >> “Let’s go FIFA!”って、あの「万歳三唱」みたい。の続きを読む