なぜ左大臣は偉くて、左遷は良くないのか?『クラウド時代の思考術』【書評】
(2017年4月28日)

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ちょっと前のひな祭りの頃だったと思うけれど、人の並びの「左右」についてネットに記事があった。この時期になるとよくあるんだけど「左大臣は右大臣より偉い」けど、それは「朝廷から見て左」が上位で、並んだ姿は右側になる。

天子は北極星を背に南面する、ということでこれは武道館の日の丸も同じ。そして、東は西より尊いので、東にあたる「左」が上位になる。

ところが、日本語には「左遷」ということばあって、これは良い話ではない。また、「右にであるものはいない」という表現もあって、どこか右上位でもある。

この辺りのことをネットで調べてみると、出てくるのはいわゆるQ&Aサイトばかりだ。個人のブログなどもあるが、書いてあることの出典はわからない。

いろんなことが書いてあるけれど、どう見ても適当な話もある。

うすぼんやりとわかったのは、どうやら中国では古代から「右上位」と「左上位」の時代があったんじゃないかということだ。儀礼として日本に入ってきた時には、左上位だったのだけれど、言葉の由来はその時々の状況を反映しているらしい。

家には、そんな話を書いてるような文献はなさそうだし、これ以上図書館まで行って調べるのも面倒だし、と思った時に気が付いた。

そうだ、漢和辞典があるではないか。

しかし、どこを見ればいいのか。とりあえず「左」の項を見ようかと開いてみると、ちゃんとこう書いてあった。(出典は大修館書店の『新漢語林』より)

「左右いずれを尊位とするかは、時代や国よって一様ではない」

なるほど、たしかにそうなのか。

「中国では、ほぼ周は左を尊び、戦国時代は右を尊び、秦・漢も同じく右、六朝時代には左、唐・宋もこれと同じく左、元は右、明は左を尊び、清に及んでいる」

ということで、とにかく時代によって、というか時の王朝によって異なっていることがよくわかった。

そしていろいろな用例があって、「左右のどちらかが上位」というのは、そうそう一概にいえないわけだ。

しかし、改めて反省したけど、もう何でもネットで検索して、その先には横着になっていることがよくわかった。学生のレポートがネット情報のつぎはぎになっていることを笑えない感じだよ。

この『クラウド時代の思考術』(青土社)は、そうした盲点を鋭くえぐっている。ネット上の「情報」と、真の「知識」の違いについて論じた本は多いが、これは心理的なアプローチからその危険を明快に指摘する。

「自分は優れている」という過信を明らかにした「ダニング=クルーガー効果」を手掛かりにしており、単にネットを忌避している「知識人の上から目線談義」ではない。世界中でネット情報への信頼性が揺らいでいる今、これは誰にとっても身につまされる問題だし、特に教育に携わる人にとっては必読の書だと思う。

というわけで、たまには紙の辞書をきちんと引こう。

※なお一部レビューにあるほど訳がひどいとは感じなかった。読解力は人それぞれだとは思うけれど。