内閣支持率は、「容認率」だと思えばいいんじゃないか?
(2017年5月1日)

カテゴリ:世の中いろいろ
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内閣支持率が安定している。昨日の日経の調査では60%で横ばいだし、少し前の他社の数字も数値は異なるが安定している。最近は調査法によって各社の数値の幅があることも知られているが、全体傾向としては安定と言える。

森友学園のスキャンダルは、かつてであれば支持率に相当な影響を与えたと思うし、失言による閣僚辞任もダメージにはなるだろう。

調査している新聞社も、そのあたりのことは何となく腑に落ちないようで、朝日が週刊文春の編集長にそのあたりのことを訊ねていた。

「それは極めてわかりやすい話で、安倍首相の代わりがいないからです」ということだけど、だからと言って「支持」を続けるのだろうか。

で、ふと思ったのだけど、「支持率」という言葉を「容認率」と読み替えてみると、腑に落ちるのだ。

いまの内閣を「支持」というよりも、「この内閣を、続けさせてもよいですか」という質問に対して「まあ、いいんじゃない」となり、もし続きがあれば「だって、他よりましでしょ」ということになるんだろう。

だとすれば、先ほどの文春編集長も発言も納得できる。

本当に支持が落ちる時には、「もうダメだよ、だって○○の方がいいじゃないか」ということになるんだろう。

なぜ、変わったのか?

これは、日本人の「政権交代経験」があると思う。2009年に政権交代を実現させたことで、小選挙区比例代表並立制の「力」を実感した。その結果生まれた政権への評価が低いことが現状容認の理由になっているのだろうけど、「いざとなったらまた“自分たちで”代える」という意識があるのだろう。

逆に言うと「メディアには決めさせない」という気持ちもあるのではないだろうか。調査の数字を見ても、森友はたしかに納得できない人が多い。とはいえ、野党やメディアに「首をとらせる」ことは認めたくないのだろう。

報道に右往左往して混乱するのは、都政で十分という感じなのかもしれない。

考えてみれば、スキャンダルで支持率が低下しても「政権交代」にはならず、自民党内での「首相交代」程度だった。しかし、それは自民党が派閥連合体だった中選挙区時代のことだ。

いまの選挙制度にはいろいろ意見があるだろうが、コンセプトは「政権交代可能」ということだろう。そのことを国民は理解した上での「容認率」なのだろうし、メディアがピンと来てないとすれば、中選挙区発想から抜け出せていないのではないか。

またメディアの創り出す「劇場鑑賞」はしても、そうそう踊らされないぞというしたたかさも感じる。また加熱するマスメディアに対して、ネットがきちんと「水かけ」している効果もあるんじゃないか。

でも、新聞社の人なんかはまだ理解できてないんだろうなあ