会議が威張れば、会話は死んで、会社は止まる。
(2017年5月22日)

カテゴリ:キャリアのことも

歳をとると時の経つのが早いという。いつ頃からとはわからないが、30代半ばくらいからジワジワそうなるんじゃないか。それは、自分も実感しているし「逆」という人は聞いたことがない。

そこまで皆が言うなら理由がわかりそうで、解明しようとした本もある。ただ、ここに書いてあるだけか?というと違う気もする。

そんな中である人が言ったことが気になった。

「定例の会議とか、恒例の行事で予定が埋まるからじゃないか」

これは、会社員特有のように聞こえるかもしれないが、たしかにそうかもしれない。いや、僕のようにフリーランスでも「定例」の仕事があるのでわかる。

毎年同じようなことをこなしていると、同じ景色のところをグルグル回ることになる。そのため、いつのことだかわからなくなり「記憶の深さ」のようなものが失われるのだろう。

僕はまだ自分で景色を変えることができる。つまり話す内容や、学ぶことを変えながら堂々巡りを防げる。でも、うっかりサボって後から焦ったりもする。

ところが、会社員で役職などがつくと、そうそう逃れられない会議が増える。しかし、あれっていうのは、ミドルをダメにするだけじゃないかな。会議を減らすとか短くするとか、立ったままやるとかもあったけど、まだ会議が多い。

そして、だいたい理由はわかっている。

会議を減らすと、自分の仕事が無くなっちゃう人が会社の「上の方」には結構いるからだ。若いうちは無駄だとわかっていても、ある日に気づく。「あ、これがないとやることない」

あと、意外に気を付けた方がいいのが講演会やディスカッションのパネラー。会議出ているよりはなんだかクリエイティブで気分もいいようだけど、結構気がつくと同じところをグルグル回ってる人も多い。

そして、会議が増えて何が失われるかというと「会話」だ。形式化されたコミュニケーションでは、普通の会話がない。だから、いざとなった時に周囲と話ができない。若い頃は、いろいろ考えていたような人が、ある時恐ろしいほど当たり前の人になってた驚くことがあるけれど、会話がつまらないのだ。

いまのAIの方が、よっぽど気の利いたこと言うだろ?という感じ。

いま「50代が使えない」という話を聞くようになったけど、たしかに会話力が低下していると思う。いまさら「自分の若い頃は」というにしても、もはや経済の停滞期が続いていたので、自慢のネタもない。とはいえ、最新のことを学ぶわけでもないまま、気がつくと「知恵の預金」は殆どつきている。

その癖、ITは半端に使えるので面倒な「会話」はそちらに任せて、都合の悪い話は顔を合わせない。

そして、会議に逃げる。最近は「リストラ」という言葉もあまり聞かないけど、今のうちに、この「ミドルの会議逃避」の構造をどうにかしないと、どこかでガッツリと行き詰まると思う。