したたかな保守と、迂闊な左翼。山崎正和が語る一級の戦後史『舞台をまわす、舞台がまわる』【書評】
(2017年5月24日)

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【読んだ本】御厨貴他編『舞台をまわす、舞台が回る 山﨑正和オーラルヒストリー』(中央公論新社)
オーラルヒストリー、つまり口述により歴史を検証するという方法論はすっかりお馴染みになって来た感じもして、その第一人者の御厨貴氏が3名を加えたチームで挑みかかった相手が山崎正和氏だ。

山崎正和の名は、若い人には既に縁遠く、また彼を知る世代にとっても、人によってその印象は相当に異なるだろう。劇作家にして批評家であり、大学の先生でもあったが政治にもまた深く関与していた。また「柔らかい個人主義の誕生」はマーケティングにおいても、重要な著作だ。

いま、専門領域の研究者はたくさんいるが、「知識人」あるいは「文化人」と呼べる人は思いつかない。氏の政治的立ち振る舞いは穏健な保守で、真の「リベラル」と言えるだろう。それにしても共産党まで含めた勢力が、いつの間にリベラルとか自称するようになったのか。そう名乗らざるを得ない革新勢力の迂闊さと、保守のしたたかさがまた浮き彫りになってくる一冊だ。

満州で過ごした幼年時代の凄絶さや、敗戦後の混沌。その話を読むだけで、知の土台となる経験の厚さがわかる。そして、「世阿弥」で注目を集めたのちに、時の佐藤総理の首席秘書官、楠田實から声がかかる。

それは学園紛争の時代であり、彼がその後もブレーンであったことはよく知られているが、本人が語る内容を他の資料と比べていくことで、改めて全体像もわかる。この辺りは相当に面白く、一級の戦後史だ。

そして、一貫して感じるのが山崎正和、あるいは彼の同志たちの肝の座った信念だ。それはむしろ保守の「感覚」であり、革新勢力はその感覚を体得せずに理屈に走った。だから、この本はある意味で戦後左翼の敗北史にもなっている。

それは、この一文が象徴的だ。

「左翼の人たちにとっては、日本は憎むべき巨大な権力だったのかもしれない。しかし私から見ると、波間に漂う笹舟のようなもので、一つ間違えると本当にひっくり返る状況に見えていました」

つまり、多数の日本人が日本を「笹舟」と感じている限り、非保守勢力は政権をとれないのではないか。民主党が政権交代した時は、「笹舟」をどうするか?という危機感がまだあった。また、1989年の参院選で自民が敗北した時は、バブルの絶頂で「笹舟」感覚は薄れていたのではないだろうか。

そして、いまでも、日本人の多くは自らの国家を「笹舟」と感じていると思う。特に、現場で働いているビジネスパーソンにはその感覚は強い。だとすれば、「安倍一強」と巨大権力批判をしても野党の支持が増えないこともまた理解できる。

もし、現在の野党が政権奪還を目指すなら、この本をじっくり読んでみるのがいいのではないか。

「国家を敬うのでもなく恐れるのでもなく、いじらしく、愛すべき存在だと見る感覚」という国家観を語り、自らを「戦後民主主義の子」というのは、学園紛争時から戦った左翼への強烈な皮肉を利かせた「勝利宣言」に聞こえる。

ただし、権威主義的な国家観には強く違和感を唱える山崎氏の感覚は、実は日本において多数派の感覚だったのだろう。憲法改正への動きが現実味を帯びる中で、ぜひ読んでおきたい一冊だ。

それにしても、高坂正尭氏の早世が悔やまれる。少々唐突だが、本書を読んでそう感じる人はまた多いのではないだろうか。