41-mxnqegjlタイトル書いてから思ったんだけど、麻雀とトランプというゲームの話をしたいのではない。

飯塚市長が辞意を表明した。平日の日中に副市長と賭け麻雀をしょっちゅうやっていたことが、地元紙に取り上げられたことがきっかけになったようだ。

この手のニュースは、普段だったら気にすることもないんだけど、昨年の発覚後にたまたま記者会見を見た。

その問答で驚いたのだけど、市長の齊藤守史という人が結構居丈高な感じなのだ。「カネを賭けずに麻雀する人がどれだけいるんだ」とか、記者に対して「つき合いをやめなきゃいけないのか」と逆質問して、その態度が相当に尊大で驚いた。

こういう記者会見だと、追求する記者が傲慢に見えることの方が多いのだけど、この時は市長の態度が「ちょっとひどいな」と思った。まあ、それが反感を買って、辞職につながったのだろうけど。

で、経歴を聞いて「あ、なるほど」と思った。この人は地元の調味料メーカーの経営者で、会長を務めつつ市長でもあったらしい。まあ、こういうのは地方では珍しくない。この市長は50歳で社長になり、その後18年間トップにいた。その間に、市長を10年やってる。まあ飯塚においては、逆らう人はいないんだろう。

ただ、こういう人は他人からの批判、しかも目の前で文句言われることに慣れてない。 >> 賭け麻雀の飯塚市長と、トランプの気になる共通点。の続きを読む



51gy64jcttl成人式のニュースを見ると、自分の時のことを思い出す。と書きたいところだが、殆ど思い出せない。出席してないし、関心もなかったからだ。どうしてたかな?と訊ねたりSNSに書いても、同世代の反応はそんな感じだった。

所属していたサークルの大イベントが年明け早々にあってそれどころじゃない、という個人的な理由もあるけれど、それほど熱心になるようなイベントではなかった気がする。

成人の日は、1999年までは1月15日だった。これがまた微妙な日程で、年末年始に帰省した人は、さすがに戻りにくい。成人式は原則として、現住所の自治体が主催しているもの参加するから、たとえば北海道出身の人が東京都大田区の成人式に出ることになる。

大学や勤務先が、故郷と離れていれば足を運びにくいかもしれない。

僕は都立高校に通っていたが、同級生の中には在学中に郊外に引っ越した者も結構いた。彼らにとっては、そういう町の成人式に行っても知り合いは殆どいないわけで、あまり出ようとは思わなかったのではないか。

だから、いまでも成人式が盛り上がるのは人の流動性が低いエリアなのだろう。自治体単位で式をおこなうのだから、「昔からの知り合い」がミッシリと住んでいる方が盛り上がる。代々にわたって家業を継いでいるような人がいれば、なおさらいいのだろう。

そう考えてみると、「20歳の居住地に知り合いがたくさんいる」という人は、どれだけいるのだろうか。もっとも、「友達はいなくても式には行く」人もいるだろうけれど、それでは盛り上がらない。

そして、中学から私立に通ったりすると、その時点で地域社会との関係は希薄になる。その上、先に書いたような「20歳までに転居」という人もいる。

成人式をいくら報道しても、新成人のリアルは見えない気もするし、ましてやその現象だけで「いまの若者」を語るのは意味がないように感じる。

そんなことをSNSに書いてたら、私立女子高などでは「成人の日の同窓会」をやっていて、そちらの方が盛り上がっていんじゃないか?という話があった。

都心のホテルなどでおこなわれていて、別室には母が集まるらしい。私立中高の濃密な感じから行けば、容易に想像はつく。

成人式の同窓会プランなどは、たくさんあるようだ。ただし、いろいろ調べてもそうした同窓会のことはよくわからない。私的な会なのだからニュースの対象にもならないから、メディアはみな公的な「成人式」ばかりを取り上げる。

でも、そこには映し出されない新成人たちもたくさんいるのだろう。

僕自身は20歳の時に何を考えていたのか?それを思い出すのは難しいが、読んでいた本は覚えている。こんなことを書いていて思い起こしたのは成田美名子の『エイリアン通り』(エイリアン・ストリート)というコミックだ。

ロサンゼルスの大豪邸に住む学生のもとに、フランス人留学生が転がり込んできて、イギリス出身の執事や日本人の娘と織りなしていくという、まあ身も蓋もない表現だけど「青春ものの一大傑作」だと思う。

そして、舞台は米国。当時はちゃんとした情報もないままに、半ば無理やりにも国外へと眼を向けさせられていて、その気になっていた。

それがいいかどうかは分からないけれど、たしかに「地元の成人式」に行く気分ではなかったのかもしれない。

ただ、このコミックは時代を超えた「芯のある」作品だと思ってる。



img_2213結構前から、卓上のカレンダーは太陰太陽暦がわかるものを使っていた。旧月名や月齢がわかるのも面白いけど、何といっても二十四節気が楽しい。

というか、季節感を正しく知ることができるし、実は合理的で実用的なところもある。

そして、今年からは七十二候のカレンダーを置いてみた。二十四節気をさらに、初候・次候・末候の3つに分けて七十二となる。

元旦から、というか正確には昨年の大晦日からが「雪下出麦」で「ゆきわたりてむぎのびる」と読む。

5日からは二十四節気の「小寒」になり、七十二候は「芹乃栄」で「せりすなわちさかう」となるのだが、寒い中でも麦やら芹やらは頑張ってるよ!ということで全体に前のめりだ。 >> 二十四節気とか七十二候のカレンダーって、意外と合理的だと思うよ。の続きを読む



visit昨日は天皇誕生日だったが、一般参賀者の数が平成になって過去最高だったという。それ以前はもっと多くの人が来た時もあって二重橋事件ということもあった。テロ事件ではなく、参賀者が将棋倒しになった惨事だ。1954年だから戦後10年も経っていない。

ちょうど「初代ゴジラ」が封切された年のはずだ。

宮内庁のウェブサイトを見ると、平成以降は新年と天皇誕生日の参賀者数が公表されている。ふと気になったので、2005年以降の数字を調べてみた。ちなみに、このグラフのカラーはマイクロソフトによれば「みやび」ということで。 >> 「平成最多」というけど、天皇誕生日や新年の参賀者って増えてるのかな?の続きを読む



12月は嫌いだ。

まず、意味もなく慌ただしい。12月になった途端にソワソワし始める。まだ1ヶ月もある頃から「もう年末はいろいろ大変ですから来年にしましょう」という人もいる。

まあ、「それならいいけど、でも着々と時間は経つんですよ」というのを堪えて、来年の仕事となるわけだ。

そして、忘年会が始まって、街がグチャグチャになる。だから、先週末くらいからは夜の予定がない。そもそも1人で仕事をしてると、忘年会との縁が薄い。たまにあっても面倒だから行かないうちに、最近はまったく行かなくなった。

というか。昔から忘年会は嫌いだ。

じゃあ、ゆっくり舞台とかがいいんだろうけど、オーケストラはやたらと「第九」ばかりになる。あの曲は、たまに聴けばいいので年末には滅多に行かない。落語も最近は「文七元結」や「芝浜」が多くて、あれも噺家が「いい話だろ」とばかりに演じるのが鬱陶しくなって、やっぱりこの時期はいかない。

つまり、クライアントも社内のことで慌ただしく、友人もバタバタして、舞台もいま一つなので、師走は嫌いといいつつ、気が付くと例年静かだ。

今年は、この時期には珍しくトレーニングプログラムの仕事があり、本の校正もあるけれど、世間に比べれば落ち着いてるし、やっぱり忘年会がないのは実はとてもいいなあと実感している。 >> 「忘年会ゼロ」の12月は静かでいいよ。の続きを読む