img_2213結構前から、卓上のカレンダーは太陰太陽暦がわかるものを使っていた。旧月名や月齢がわかるのも面白いけど、何といっても二十四節気が楽しい。

というか、季節感を正しく知ることができるし、実は合理的で実用的なところもある。

そして、今年からは七十二候のカレンダーを置いてみた。二十四節気をさらに、初候・次候・末候の3つに分けて七十二となる。

元旦から、というか正確には昨年の大晦日からが「雪下出麦」で「ゆきわたりてむぎのびる」と読む。

5日からは二十四節気の「小寒」になり、七十二候は「芹乃栄」で「せりすなわちさかう」となるのだが、寒い中でも麦やら芹やらは頑張ってるよ!ということで全体に前のめりだ。 >> 二十四節気とか七十二候のカレンダーって、意外と合理的だと思うよ。の続きを読む



visit昨日は天皇誕生日だったが、一般参賀者の数が平成になって過去最高だったという。それ以前はもっと多くの人が来た時もあって二重橋事件ということもあった。テロ事件ではなく、参賀者が将棋倒しになった惨事だ。1954年だから戦後10年も経っていない。

ちょうど「初代ゴジラ」が封切された年のはずだ。

宮内庁のウェブサイトを見ると、平成以降は新年と天皇誕生日の参賀者数が公表されている。ふと気になったので、2005年以降の数字を調べてみた。ちなみに、このグラフのカラーはマイクロソフトによれば「みやび」ということで。 >> 「平成最多」というけど、天皇誕生日や新年の参賀者って増えてるのかな?の続きを読む



12月は嫌いだ。

まず、意味もなく慌ただしい。12月になった途端にソワソワし始める。まだ1ヶ月もある頃から「もう年末はいろいろ大変ですから来年にしましょう」という人もいる。

まあ、「それならいいけど、でも着々と時間は経つんですよ」というのを堪えて、来年の仕事となるわけだ。

そして、忘年会が始まって、街がグチャグチャになる。だから、先週末くらいからは夜の予定がない。そもそも1人で仕事をしてると、忘年会との縁が薄い。たまにあっても面倒だから行かないうちに、最近はまったく行かなくなった。

というか。昔から忘年会は嫌いだ。

じゃあ、ゆっくり舞台とかがいいんだろうけど、オーケストラはやたらと「第九」ばかりになる。あの曲は、たまに聴けばいいので年末には滅多に行かない。落語も最近は「文七元結」や「芝浜」が多くて、あれも噺家が「いい話だろ」とばかりに演じるのが鬱陶しくなって、やっぱりこの時期はいかない。

つまり、クライアントも社内のことで慌ただしく、友人もバタバタして、舞台もいま一つなので、師走は嫌いといいつつ、気が付くと例年静かだ。

今年は、この時期には珍しくトレーニングプログラムの仕事があり、本の校正もあるけれど、世間に比べれば落ち着いてるし、やっぱり忘年会がないのは実はとてもいいなあと実感している。 >> 「忘年会ゼロ」の12月は静かでいいよ。の続きを読む



%e5%b0%b1%e6%a5%ad%e8%80%85%e6%95%b0最近、首都圏の通勤ラッシュがまた大変なことになっているようだ。

「お客様どうしのトラブル」で、遅延になったというニュースもある。混雑だけが原因じゃないのかもしれないが、SNSの書き込みでも「混み方がひどい」という話を見ることが多い。

日経ビジネスオンラインでも、「本当に緩和されているのか?」という切り口の特集を始めている。

僕は、基本的に通勤をしない生活だ。もちろん、朝早くに仕事に行くことはあるが、会社員時代からずっと始発駅近くに住むことに固執しているので、ある程度はどうにかなる。つまり、混んだ電車が好きではなく、それをある程度避けたとしても、「毎日の通勤」が好きじゃないことが、会社を辞めた理由の一つなのだ。

それでも、最近の電車の混み方はちょっと凄いと思うことがある。大学の講義の後に、渋谷から山手線の外回りに乗ろうとすると、あまりに混んでて2本くらいやり過ごすこともある。朝ではなく、夕方の19時前だ。 >> 通勤ラッシュがひどくなってる、単純な理由。の続きを読む



先日区役所に用事があった。

「132番でお待ちの山本さま~」という言い回しが飛び交っている。

「136番のカードをお待ちのお客様~」と「正しい日本語」だと思ったら、合成音声だった。まあ、そういうものだろう。

旅先では、客商売ならではの謎の言い回しをよく聞く。先日泊まった旅館では、朝食の案内がいちいちこんな感じだった。

「こちらは湯葉となっておりまして、よろしければ火の方をつけさせていただきます」

ご飯も味噌汁も、すべてのものが「なっておりまして」、「おかわりの方」がいただけるそうだ。ありがたい。

そういえば、今春に京都の寺社で期間限定の特別公開を中心に回ったのけど、こういうところも、また独特だ。

「こちらは、人数を限らせていただき、お一人様ずつの入場という形になっております。靴はお脱ぎ頂くという形になっておりますので、ご協力の方をよろしくお願いします」古都がそうなんだから、もう仕方ない気もする。

「~という形」「~の方」「~になっております」という言い回しは、「正しくない」感じがするし、そう思う人も多いようだけど、多分これからなくなる気もしない。

それにしても、なんでこういう言い回しが増えてきたんだろう。

まず、共通するのは「婉曲」ということだ。「ご飯です。おかわりはいつでもお申し付けください」でいいんだけど、それじゃ何かが足りないと思うのだろう。 >> 「という形になっております」的な言い回しで思うこと。の続きを読む