街を語るのは難しい。というのも、本人の経験が限定的だからだ。

現住所は基本的に1つだし、勤務先やら留学先とかをかき集めても限度がある。だから、街を語る文化人はフィールドワークをするわけだが、これもまた時間がかかる。

そして、どうなるかと言えば、知識勝負になる。だから、現代日本の話に古代ローマや中世の京都とか持ち出してくるわけで、聞いてる方としてはもうどうでもいい感じになっていく。

しかも、その街の当事者が語るとは限らない。まあ、語るだけなら誰が語ってもいいんだろうけど、他所の人が「これを壊すなんて」と言ってきて面倒になることもある。

そうした理屈と関係なく、好きな空間を語り倒すとなると、結構思いもよらない発見がある。昨日書評を書いた「ショッピングモールから考える」にはそうした楽しさがあった。

ただ、僕自身の感覚としては、それほどピンと来るわけではない。もともと、東京区部の西で生まれ育って、高校までは区内だった。転勤後に結婚したが、東京に長い割には知ってる場所が少ない。結局は似たような場所にずっと住んでいる。

30年以上通っている小さな店には、顔なじみの高校の先輩がいる。新しい店も増えたが、そこにも常連がいて濃い空間をつくっている。

それが当たり前の世界なのだけど、だからといってモールを批判する人の気持ちもよくわからない。僕の住んでいる昔ながらの住宅街と、駅から連なる店は相当に閉鎖的でもある。ことに酒を飲まない人にとっては居場所が相当限られる。夜にメシだけを食って帰ろうとすると選択肢が少ない。コンビニが流行るのも納得できる。

モールに代表される再開発エリアの方が、よほど選択肢が広い。それを「猥雑さや陰影がない」などと評するのは簡単だが、そもそも街にそういうものを求めるかどうかは、個人の好き好きだろうし、生まれ育った経験にもよる。 >> 街を語る文化人の落とし穴。の続きを読む



民主党が党名を変えるかもしれないという。

ううむ。維新側はそういう主張になるだろうが、参院選までに浸透させることができるのか、というよりもそもそも新党の名前って相当難しくなってるのではないか。

伝統的な政党名は、「自由」「民主」「共和」「社会」「共産」のような感じだったが、日本で変化があったのは1993年の細川政権の頃からだろう。「日本新党」「新生党」などが誕生して、その後はもういろいろである。

民主党の安住淳氏が「惑星とか新幹線のような名前はもういい」と言ったそうだ。たしかに「のぞみ」「かがやき」的なのはもういいだろう。「惑星」というのはよくわからないけど、「ジュピター」とかイメージしたのか。まさか「ビーナス」や「サターン」ではないと思うが。

政党名が揺らいでいるのは日本だけではない。僕の記憶ではイタリアの”Forza Italia”(フォルツァ=頑張れ)辺りからではないかと思うが、これも1994年。最近ではスペインでPodemos(英語のWe canの意味)という左翼政党が人気を集めているという。

なんでこうなったのか?とても単純に考えると、政治の世界で「主義」が消失したからだろう。クラシックな政党名は、そのあとに「~主義」とつなげることができるものが多かったのだ。

ところが冷戦が終わり、社会主義や共産主義がああいうことになってしまった辺から迷走が始まった。もはや新たな主義などない。そうなると、拠り所はなくなっている。

かくして「大地」「日本のこころ」とかだと、もはや有機野菜の食堂のようになってしまうわけだ。

ううむ。何か手がかりはあるんだろうか。 >> 主義なき時代の政党名の悩ましさ。の続きを読む



そう、これは深いのだ。果たして猫は後悔するのか。

哲学者の野矢茂樹氏の著作『語りえぬものを語る』(講談社)の第1章の表題には「猫は後悔するか」とと記されている。

結論は、まず5行目にあっさりと書かれる。

「私の考えでは、しない。いや、できない」ということだ。異論のある方もいるかもしれないが、まずは氏の考えを追っていく。

そもそも、後悔するには、事実に反することを想像する必要がある。では、なぜそれができるのか。そのためには、「世界が分節化」されていなくてはいけない。

「犬が走っている」という事実がある。その時僕たちは、「犬」という対象と、「走っている」という動作という要素から構成されていると捉える。これが分節化だ。

分節化された世界にいるからこそ、「犬が逆立ちする」という事実に反することを想像できる。そのためには、分節化された言語が必要だが、猫はそれを持ってない。

犬が走っていれば、「走っている犬」という現実に対処するだけである。猫だけではなく、犬だってそうだろう。

という説明である。たしかに、そうだ。 >> 「猫は後悔するか」問題について。の続きを読む



「事実上のミサイル」が発射された。

ではミサイルとロケットの違いって何なんだ?という話を今回はネット上でも結構見た。諸外国がどう言ってるのかを含めて、こちらの記事に書いてあるが、そもそも国連がミサイルと言い切っているようだ。

英語圏のメディアを少し調べたが、ニューヨークタイムズは「大陸間弾道弾開発プログラムの一部と西側専門家が信じているロケット」という言い回しで、CNNは’missile’と引用符付きで報じている。この辺りが「事実上」のニュアンスに近いのかもしれない。

しかし、考えてみると「事実上」という日本語も妙だ。調べてみると「法律上」の対義語ともあるが、この場合は違う。

どちらかというと「ご承知の通り」という感じだろうか。

ただ、事実というのは「表」の話だ。だからこそ、真実や真相というのが「裏」となっている。しかし、今回は表がロケットで、裏がミサイルという感じだ。

つまり、どこかで裏と表が逆転したというか、最初から裏も表も透けてしまっているわけなんだろう。

考えてみると、今年に入ってからのニュースってこんな感じだ。

「人気タレントの不倫発覚スクープ、事実上の近親者による暴露がおこなわれました」

だとすれば、もちろんあれだって。

「人気男性アイドルグループの謝罪会見、事実上の脱退阻止の経緯説明がおこなわれました」 >> 「事実上」って、何なんだろう?の続きを読む



怒涛のような1月だった。相当ニュースが詰め込まれていて、その上、世界と日本のギャップがすごい。

年明け3日に飛び込んで来たのは、サウジアラビアとイランの断交。なんで?と思う間もなく4日は中国株式市場でサーキットブレーカーが発動。6日には北朝鮮の核実験。「自称水爆」といわれているが真相はわからないまま、28日の破壊措置命令となる。そして7日は再度サーキットブレーカーが発動して、中国はこの制度自体を止めてしまった。
これで、まだ2016年は1週間。

その後も株式市場は世界的に乱高下が続いて、29日の日銀会合で「マイナス金利」が導入された。

さらに16日は台湾の総統選挙で民進党の蔡英文が当選し、イスタンブールやジャカルタでも爆破テロがあって国際政治・経済だけでも相当お腹いっぱいだったのに、メディア上の話題では国内のスキャンダルがそれ以上にすごかった。

というか、今さら陳腐だけれど「平和な日本」を実感したとでも言うのかな。

7日の週刊文春でベッキーの不倫、翌週13日のスポーツ紙でSMAPの解散報道で、18日に「会見」中継。文春発のスキャンダルはなおも続いて、甘利大臣は28日に辞職。ただ内閣支持率はむしろ回復傾向で、民主党は「自虐ポスター」で話題に。

事件としては、15日には碓井バイパスでバスの事故があったが、いまだ原因は不明のままだ。また、24日は沖縄の宜野湾市長選挙で、国政与党系の候補が当選。選挙のニュースは、しばらくすると地元以外では報じられなくなるが、影響はじわじわ来るだろう。

スポーツでは大相撲で琴奨菊が優勝したことと、サッカーU23代表のアジア大会優勝だろうか。どちらも「日本」を意識させる報道だった。

ビジネス関連では、トヨタがダイハツを子会社化する一方で、スズキとも提携。また新日鉄住金が日新製鋼を買収子会社化するなど、ますます集中が進む感じだ。 >> 1月のニュース振り返りと気になることなど。の続きを読む