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政治のニュースは多いし、注目されているようにも思うのだけど、そこで行われていることのクオリティの低さは、かなり凄まじいことになっているような気がする。
一方で、経済ニュースって毎日とても緊張感が高いし、企業の第一線で働く人も経営者もすごいゲームの中に身を投じているんだろうな、と思うし、この緊張感は90年代後半からどんどん高まっている。
それで職場が厳しいというのはたしかにそうなんだろうけれど、この緊張感の背景にはテクノロジーの発達があるわけで。
そう考えると、この15年間くらいの間に、政治というのがテクノロジーの発達から取り残されちゃったんだろうな~と思う。日本の選挙でネットが解禁されてないとか、そういうレベルじゃない。日本に限らず、政治って「生活の足を引っ張るもの」になってる気がする。
ちょっと前の英国総選挙の時、たまたまずっと自宅にいたのでBBCの開票速報をCSで見ていた。いつまで経っても、多数派が決まらないイラだちがキャスターの雰囲気からも感じられたんだけど、驚いたのはこの日の選挙で「投票所に行ったのに時間切れ」で、投票できなかった人が結構いたのだ。締め切り間際でもまだ行列が途切れず、それでもって「はいここまで」というわけで、これが「民主主義の手本」とかいう以前のお話だった。
その選挙結果も、クラシックな単純小選挙区制の矛盾噴出といった風情だ。このグラフは、左が得票数で右が議席数の割合を比較した。
第三極である自民党の得票の大半が死票である。
ここにきて伝統ある小選挙区制度が問題になっている。だが、それは第三極の得票が伸びただけではないと思う。
社会や経済が変わっていく中で政治だけが変わらず、むしろ生活の足を引っ張っているような感覚なのではないか。選挙制度はその象徴に見えている気がする。
17世紀の英国革命はいち早く市民社会の発達を促し、産業革命などをもたらしその後の「英国の時代」を呼び起こしたとされる。
かつては政治的安定が、経済の発展をもたらして社会を安定させるという図式だった。しかし経済がグローバル化していくと、国単位の政治システムはついていけない。そういう事例は山ほどあるんだろうけど、英国の「投票に行ったら締め切りお断り」というのは、どの国でも政治が”お荷物”になっていることの象徴なんだろうか。



(2010年4月26日)

カテゴリ:世の中いろいろ
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「団菊爺」という言葉がある。「いや先代の団十郎や菊五郎は素晴らしかった」と、歌舞伎の昔語りをして「それに比べりゃ、今の連中は……」と嘆く爺のことである。明治あたりのことばらしいが、たしかにこういうのはどの世界にもいる。
落語で言えば「志ん生や文楽」で、クラシックなら「フルトヴェングラーやトスカニーニ」という感じだろうか。スポーツでもありそうだ。
こういうのって若い世代から見れば「また始まった」みたいなもので、適当にあしらわれつつ、老いていくのみ。せっかくだったら、いま眼の前で繰り広げられいている世界を楽しめばいいのに、と僕なんかは思う。
で、そういうファンの繰り言であればいいんだけど、結構ビジネス界にも「団菊爺」はいるものだ。そして、それは結構困ったことだったりする。
「いや、本当にあの人はサムライだった」
「やっぱクリエイターとしての生き方が違う」
とかいって、よく聞いてみると単に羽目を外した飲んだくれ営業だったり、女性関係にルーズで離婚を繰り返したデザイナーだったりする。単にセクハラ・パワハラ全開の、いわゆる「セパ両リーグ」を渡り歩いた困った人なのに。

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