「ステマ」はなぜいけないのか?【講義覚え書き】
(2015年12月1日)

カテゴリ:マーケティング,広告など
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「ステマ」という言葉がありますよね。知らない人はいる?~みんな知ってるみたいですね。じゃ、「ステ」って何?~ああ、こちらは意外と知らないかもね。「ステルス」というレーダーに捕捉されにくい戦闘機です。

つまり「姿が見えない」発信源からのマーケティング戦術を「ステルス・マーケティング」と言って、それが「ステマ」ということになったわけ。

つまり「記事のようでいて、実際は広告主からおカネをもらって書かれているコンテンツ」が問題になっているわけですよね。これが、消費者を惑わせるものとして批判されていることは、知ってだろうけど、改めて考えてみましょう。

「なぜ、ステマはいけないのか?」ということだよね。

一見当たり前のことだけど、それを考え直すことはコミュニケーションの仕組みを再確認するためにも有効だと思うからです。

まず、記事や番組などのコンテンツは、それを提供するメディアが取材・制作して提供します。

一方で、広告の主体は企業です。自社の製品やサービスについて「買ってほしい」と思って広告するのだから、当然いいことしか書きません。ある会社が「抜群のおいしさ」と言って、他社が「かけがえのない旨味」と言った時に、どちらが優れているかは消費者が判断することになります。

つまり、広告というのは発信元が企業である、という前提の上でのゲームであって、それを承知で消費者も参加してます。そして発信元を明記しているからこそ、企業はルールの範囲内で大胆な表現に挑戦することも可能になります。それを誤魔化すのだからステマは企業にとっての自殺行為です。

一方で、記事や番組などは第三者的な視点で書かれているという前提があります。だからこそ、記事が特定の製品に言及している場合は「都合のいいこと/わるいこと」が併存するだろうと消費者は考えるでしょう。

なぜなら、広告は「おカネを払って出稿されている」一方で、記事や番組は「おカネを関係なく書かれている」ことを受け手も承知しているからです。ただし、広告収入というのはメディア企業に入ってくるので、その一部はたしかに記者の報酬にもなります。ただし「企業としての収入」を再配分するので、個々の記事には特定企業の影響は排除されるという考えです。

つまり、提供している情報の流れとカネの流れをハッキリ区別することでメディアとしての信頼性を保ってきたわけです。したがって、ステマはメディアにとっても自殺行為です。

では、仮に以下のようなケースがあったとすると、それはなぜ問題なのでしょうか。

・「携帯回線でX社が一番速かった」みたいな記事が実はX社からおカネをもらって書かれていた

・X社が一番速いのは事実だった

これはルール違反にならないように思えます。しかし、だったら広告にすればいいはずです。なぜしないのか?

同じことでも、「誰が言ってるか」によって、その情報の信頼性が変わるという人間心理を逆手に取っているらこそ、「記事のように見せたがる」わけです。つまりステマは結果的に消費者の不利益になる可能性が高い

つまり広告主、メディア、消費者のそれぞれにとって、結局はマイナスにしかならないのです。

つまり「何を言ってるか(what)」よりも、「誰が言ってるか(who)」で、メッセージの影響が変化する。それがわかっているからこそ、「記事のように見せたがる」わけですが、じゃあどうしてそのような動きがここに来て増えてきたのでしょうか。

そして、そもそも「広告より記事やクチコミの方が信頼できる」ということは本当なんでしょうか?

単純なようで、結構奥が深いと思うんだよね。

(続く)【2015年11月青山学院大学の講義より】