東フィルのことが心配になる一夜。バッティストーニの「第九」
(2015年12月19日)

カテゴリ:見聞きした
タグ: ,

東京フィルハーモニー交響楽団 『第九』特別演奏会

指揮:アンドレア・バッティストーニ

ソプラノ:安井 陽子・アルト:竹本 節子・テノール:アンドレアス・シャーガー・バリトン:萩原 潤

合唱:東京オペラシンガーズ

 

2015年12月18日(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール

ベートーヴェン/序曲『レオノーレ』第3番

ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調『合唱付』作品125

=========================================================================

「第九」は3楽章までは屈指の名曲だと思うんだけど、4楽章の「やればできる」的なノリが決して好きではないので、指揮者に関心があるときだけ聞きに行く。最近だと2年前のインバルと都響以来だろうか。

というわけで、この日はバッティストーニの演奏を聴いてみたいというのが来た理由。この「ピエモンテ州の名物料理」みたいな名前の指揮者(そんな料理はないけど)が東フィルを振った演奏の評判をよく聞いたので、興味を持ったのだ。

この曲は、日本では年末にたくさん演奏されるのであまり意識されてないかもしれないが、あらゆる交響曲の中でも相当に演奏が難しい曲だと思ってる。いろんなところに落とし穴というか罠のようなものがある。

で、この日はどうしたかというと、東フィルは見事にそのトラップに嵌ったという感じだ。

レオノーレの冒頭から木管の音程が怪しくて嫌な予感がしたのだが、この傾向が終始変わらず。全体的にもアインザッツが合わない、というかそもそもアンサンブルが相当に荒れている。

テンポが相当に快速で、それは別にいいのだけれどオーケストラに意図が伝わっていないのか、聴いている間ずっと不安になるような演奏会は久しぶりだった。ベートーヴェンの演奏としては響きは陽性で明るく、それは好きなんだけど、バシッと決まるところがことごとく流れる。

なんでかな?と思ったけれどティンパニーがずっと埋もれている。もう少し堅いマレットを使った方がいいと感じるんだけど、それも指揮者の好みなんだろうか。

バッティストーニの棒は打点が独特で慣れればいいのだろうが、今回はそれも裏目に出ている。管楽器への指示も唐突で、3楽章のホルンソロで近年まれに見る事故が起きたけれど、あれもいきなりな棒が一因じゃないだろうか。

歌のソロは十分によかったと思うし、「コーラスうまけりゃ七難隠す」で終演後も熱狂するファンのブラボーが飛ぶんだけれど、それは「第九」だからだろう。有名な曲なので、アンサンブルが乱れても「脳内補完」できるわけである。
と、いろいろ否定的なことを書いてしまったが、それも東フィルのことが少々心配だからだ。僕はかつてこのオケの定期会員だったが、やめた理由の一つがアンサンブルが粗くなったことだった。

指揮者陣を見ると、「桂冠名誉」のチョン・ミョンフンに、「特別客演」のプレトニョフ、「首席客演」のバッティストーニなどの顔ぶれで、来季の定期は彼らが中心になる。常任あるいは音楽監督として腰を据えて音作りをするのは不在のようだ。

そして、バッティストーニや来季登場する佐渡裕も含めて「感動メーカー」の指揮者が目立つ。当座の熱狂はあるが今の東フィルには、じっくりとサウンドを作っていく人が必要ではないか。

オーケストラは一つの生き物であり、アスリートに似ていると思う。筋肉や関節のコンディションを整えて、内臓も健康で、精神的集中力が高いことが必須だ。いまの東フィルは、あちらこちらが傷んでいるアスリートなのに、派手なパフォーマンスに走ろうとしているように感じる。必要なのは、きっちりとしたトレーニングのできる指揮者だろう。

先日シベリウス後期のチクルスを聴いた読売日響の時は、東京のオーケストラの水準の高さを改めて感じたが、それもまた団体しだいなのだろうか。底力のあるオーケストラなので、運営次第ではまだまだ力を発揮できると思う。というわけで、いろいろ複雑な心境になる「第九」だった。初日だったので、2日目以降はまた変わるかもしれないが。

追記:テノールのアンドレアス・シャーガーは、ソロでは顔を左右に振る三波春夫のような熱演で、右手を何度も高く上げるんだけど「第九」でこういう人は珍しい。声は伸びるし、一番和んだのは彼の歌を聴いたときかな。