11月の雪にも驚いたが、この雪の中、有楽町の宝くじ売り場には「年末ジャンボ」を求める行列ができているというニュースを見た。いや、筋金入りとはこういうことなんだろう。

近年のことだけど、この行列ができる頃になると決まったように「どうして?」と書く人が増えてきた。批判、というほどじゃないけど「それ、違うでしょ」というトーンで、苦言というのか詠嘆というのか。

つまり、確率的は相当低い上に、しかも特定の売り場のとある窓口で買いたいがために、長時間並ぶって、あまりに非合理的だろという話だ。

まあ、そりゃそうだと思いながら、そういう合理的すぎる思考というのも、落し穴があるんじゃないか、と感じることもある。

行列する人を「理解できない」というのは簡単だ。まあ、実際はそういう人が多いだろう。あれだけ並ぶと錯覚するけれど、その何百倍もの人がその周りを行きかっているわけで、行列する人は実は少数派のはずだ。

だから「理解できないよなあ」で終わっちゃうかもしれないけど、「実際に並ぶ人がいる」という事実に目を向ければどうなんだろう。

「人間は結構非合理的に行動するし、実はそこに商いのチャンスはある」と考える人の方が、ビジネスには向いているんじゃないだろうか。

考えてみれば、初詣の時だって、混んでいる神社では相当待つ。ニューヨークのタイムズスクエアのカウントダウンだって寒い中、立ちっ放しで何時間も待つ。

もしかしたら、当たりくじの可能性がある宝くじの方がマシかもしれない。 >> 「年末ジャンボに並ぶ人をどう思いますか?」と、採用面接で聞いたみたい。の続きを読む



石原慎太郎の都知事時代の功罪はいろいろあるだろうし、人によって評価も異なるのだろうが、「大江戸線」のネーミングにまつわる話は最大の「功」だと思う。

大江戸線がとてもいい!と思うわけではないが、最初の委員会答申では「東京環状線」で「愛称:ゆめもぐら」だった。石原氏は「環状していない」という理由で外させたというが、僕は「ゆめもぐら」が許せなかったんじゃないかと推測している。いや、やめてよかったよ。

先日、小池都知事が「東京ブランド戦略」を見直すと言い出して、まずは観光ボランティアの制服が槍玉にあげられた。舛添氏も美術に関心が高かったようだが、どうしてああいうデザインになったのか。慎太郎だったら却下したんじゃないかと思う。

この「東京ブランド」を巡る報道は、殆ど制服の話になっているが、そもそも「&TOKYO」というコンセプトもなかなか悩ましい。

一般的にブランディングにおいては、その対象になる価値を言葉で規定している。ただし、都市と言うのは一言で表現するのは難しく、大都市になればなるほど大変だと思う。なぜなら、多面性が強くなるわけで、地方ほど規定はしやすいだろう。

「杜の都・仙台」なら、まあ大体の人は納得する。

ところが、東京となるとどこを切り取るかが難しい。江戸から続く文化と、最先端のビジネス、あるいはサブカルチャーなどあまりにもごった煮で、それがまた魅力だ。こういう時にどうするか?というお手本としては、”I Love New York“を思い出す。

ニューヨークがどんな街かは何も言っていない。しかし、インパクトは強かった。

「&TOKYO」に決めるまでも、そうした議論があったんじゃないかと推測する。

だから、「東京の価値」を決めるのではなく、”&”に託した。託した、といえばいいようにも聞こえるが、ただ何となく「丸投げ」感もある。

かくして、sushiからmatsuriから、もう何でもありということになった。 >> 制服だけじゃない、「東京ブランド」のホントの課題。の続きを読む



11月になった。

振り返るにはちょっと早いかもしれないが、今年の事件や騒動などのニュースは夏までに集中していた感じがする。

気になる出来事があると、エクセルの表に書き込んでいる。それを見ていくと、いろいろな流れが何となく見えるのだ。いま見直すと7月まではミッシリしている。

年明けは、サウジとイランの断交というニュースが飛び込み、ベッキーにSMAP騒動、そして軽井沢のバス事故で、まだ新年から15日だ。この後も、甘利大臣に清原、そして乙武にショーンKとスキャンダルは続く。そして、一段落したかと思った4月に熊本の地震。

ビジネスでは東芝、シャープに三菱自動車の問題が噴出して、日産傘下になったのが5月。6月には英国のEU離脱があり、7月はダッカやニースでテロがあり相模原の施設で殺人事件と続いたが、その間に天皇陛下の退位意向のニュースもあった。

そして、いま見直すとその翌日が都知事選だ。

8月以降ももちろんいろいろなニュースがあるのだけれど、前半のドタバタに比べればおとなしい。その代わりに、延々と続いているのが東京都の「小池劇場」ということになる。 >> 平日昼間のテレビが作る「世論」。の続きを読む



index既に評価の高い本だと思うけれど、なぜ思い出したかというとUSJがハロウィン企画でおこなった「ジャパニーズ・ホラーナイト」が騒ぎになっていることを知ったからだ。

たくさんの日本人形を集めて恐怖を煽ることに「日本人形協会」が抗議したということで、ニュースになった。

ただこの騒動は、USJ vs. 人形業界という単純な感じでもない。そもそも展示に使われた人形は和歌山の淡嶋神社から貸し出されたものなのだ。だから人形協会の抗議書も、USJとこの神社に送られている。

淡嶋神社は、人形供養で有名なところで、拝殿には人形がこれでもかというほど並べられているし、「心霊スポット」としても有名なところだという。で、この神社だけどウェブサイトを見るとこんなQ&Aまである。

「髪の毛が伸びる人形があるとテレビ等で見ましたが、本当にあるのですか?  又、なぜ伸びるのですか?」という問いなんだけど、「本当にあります。人形は見てもらったり遊んでもらったりするために、生まれてきたものです。そのため、人に注目を集める為に何らかの奇怪的な事をおこすことがあります」ということらしい。

いやあ、USJ以上にしたたかなのは、実はこの神社なのではないだろうか。 >> 「確率思考の戦略論」とUSJの呪い人形。の続きを読む



大学の後期のメディア論は、いまの動向を素材にしている。

最初に簡単なスライド一枚のレポートを出して、教室で共有・講評するが、まずは「任意のメディア企業を選んで、その企業の課題と解決の方向」を書いてもらうというものだ。

まあ、問題意識やそもそものメディア接触を知ることが目的なので、画期的なアイデアを求めているわけではない。

メディア企業の定義は、マスからネットまで広い。ECなどもOKにしている。ただし、「何らかの課題」がある企業を選んでもらうので、その時期にやたらとニュースになっているような企業は指定から外す。2年前のあの新聞社や、今年だとあの広告代理店だ。

さて、今年だけど妙に「人気」だったのがフジテレビだ。比較的小規模な講義だが、やたらと多い。

視聴率低迷、というニュースを目にする機会が多く、「かつてバブル期は」というイメージも重なっているのかもしれない。実際は、2000年代のフジテレビはトップのことも多かったのだけど、そういう感じではないようだ。

ただ、フジテレビが「特に嫌い」というわけでもなく、「かつてはよく見た」わけでもない。どこか「よその国の話」のような感覚なのである。というか、そもそも「フジテレビ」というイメージを、テレビから得ているのではなさそうだ。

学生の情報ソースは殆どがネットだ。フジテレビの不調は、ネットメディアのネタになりやすく、目につくのだろう。

そこで、毎年聞いてる質問をしてみた。それは、民放局へのロイヤルティ、というか好意度を測る簡単な質問だ。 >> 局イメージの希薄化と、「テレビ欄」の関係。の続きを読む