%e7%99%be%e8%b2%a8%e5%ba%97a千葉の三越が閉店するという。もう三越の場合、日本橋と銀座以外であれば、どこか閉じたって驚かない気もするが、一部の報道によれば伊勢丹を含めてまだまだ閉店候補はあるらしい。まあ、三越伊勢丹に限った話ではないし、事情を聞けば、そりゃそうだろうと思う。

つまり、結構な不採算店を抱えながら一部の店で持たせているという構造が、相当に長く続いたのだ。

僕の世代は、子どもの頃に百貨店に連れて行ってもらうのが、ハレだった。個人的な体験だけど、一緒に暮らしていた祖父が鉄道グループに勤めていて、流通部門の担当だったこともあり、ことさらに好きだったと思う。

結婚してしばらくは、あちらこちらに行っていたが、気がつくと足が遠のいている。そして、たまに行くと、空いていることに驚く。一部の店は賑やかだけど、都心でも空いてる店は週末でも静かだ。そりゃ、郊外店舗はきついと思う。

一体、店ってどのくらい減っているのかと百貨店協会のレポートを見ると、たしかに減っている。ところが、それ以上に売り上げの減り方が厳しい。 >> 数字を見て驚く、百貨店の後手後手。の続きを読む



「食べログ」がきな臭いようで、こんな情報が飛んでいる。

もともと、怪しげなことをやるようなビジネスは、どこかうまく行ってないことが多いんだけど、感覚的に言って、あのサイトの影響力は段々と低下していると思う。

インスタグラムなどの影響もあるだろうし、近くで探すならグーグルマップから検索しても、大体の見当はつく。ちなみに自分の周りの友人は、あのレビューを信じていない人ばかりで、まあスターバックスをうまいと思ったことがないようなタイプである。

でも、一番の原因はあのレビューの文章に漂う、独特の香りにあるのではないかと思ってる。

そもそも、食を文章にするのは難しい。そもそもが、「おいしさ」は相対性が強い。エリアによっても違うし、同じ人でも時によって異なる。打ち上げのビールはうまいが、通夜のビールは苦い。

それに、単なる味覚の鋭敏さであれば、人間以外の動物の方が鋭いのではないか。家の猫に、たまに刺身をやるが養殖はまず食べない。しかも、クンクンと匂いを嗅いでから、不審そうな顔をして去っていく。

ちなみに、この話をSNSに書いたら、猫飼いはみんな「そうそう」と言った。

まあ、味覚なんてそんなものだと思う。

話が逸れた。まあ、そういう味に関することを懸命に書けば、大概は野暮になる。まして点数をつけるというのは、それは「お上りさん」の趣味だろう。ミシュランが旅のガイドに由来すると言うのは、そういうことだ。 >> 哀愁漂う、「食べログ文学」の世界。の続きを読む



社内の風景は会社によって、結構ちがう。

そして、会議室の雰囲気は、まさに風土を表していると思う。一番わかりやすいのは「壁」じゃないだろうか。

広告会社は、僕が入社した30年前から(と書いて今年で卒業30年であることに初めて気づいて驚いた)、壁は「使うもの」だった。

とにかく、何かを貼る。企画だったり、切抜きだったり、壁はキャンバスみたいなのものだった。

つまり「みんなでワイワイ考える」ことが、はなから当たり前だったのだ。

そういう雰囲気は、まだ他の業種では少なかったけど、段々と当たり前になった。コピー機付きのホワイトボードなどが広まった。六本木ヒルズができた時に、たしか壁面をボードにしたような部屋があったと思う。

そして、いろんなところで「ポストイット」が普及した。小さいものを栞にするのではなく、大きめのものに書き込んで持ち寄り、分類していく。いわゆるワークショップの技法も一般的になったが、この普及には広告業界の関係者も相当関わっている。

ことに地方自治体などにも持ち込んだようで、「村おこしの会議に集まった青年団」とかのニュースを見ても、ポストイットがペタペタだ。それが「民主的」だと布教をした人がいたのである。

ただし、最近は相当副作用が強いんじゃないだろうか。 >> ポストイットに罪はないけど、「ワークショップ」は要注意。の続きを読む



今年の初めに、このブログでこんなタイトルのエントリーを書いた。

【今年気になること】仲良し男子と戦う女子。

たとえば嵐とAKBなどを例に出して、メディアの上では「仲がいい男子」と「戦う女子」がもてはやされる、というお話だ。

この傾向、このオリンピックでもその文脈は健在だった。というより強化されてる。

「仲良し男子」については、先日も書いたとおり。で、気になるのは「戦う」どころか、もはや「昭和のスポ根」を地でいく女子の頑張りだ。

レスリングの吉田を中心とした人間模様、ウェイトリフティングの三宅の父子鷹物語、シンクロの鬼コーチと復活劇。男子よりも、汗と涙の密度が妙に濃い。

そして、こうした事実を受け手が望む方向に合わせて、またメディアも演出する。つまり送り手と受け手の共同作業だと思う。

じゃあ、誰が女子アスリートに、スポ根劇を望んだのか?まあ、中高年男性だろう。

閉会式の夜、近所の小さな店で食事をしていたら、こんな会話があった。常連客の一人客同士とマスターが話している。まず若い女性客に向かって

マスター「あのリレー、いい男ばかりが4人も走って最高でしょ?」

女性客「そうですよね~」

と、ここで隣の中年男性が割り込んだ。 >> スポーツ女子に「昭和スポ根」を求めたのは、誰だったの?の続きを読む



(2016年8月22日)

カテゴリ:メディアとか

いろいろな名場面のあったリオデジャネイロ・オリンピックだけど、日本選手について僕が印象的だったのは、「もうフィクション作家とか大変だよなぁ」ということだった。

それは、特にチームスポーツで感じたんだけど、もう現実の選手同士のエピソードや、醸し出す雰囲気が創作者の想像範囲を超えちゃったという感じだ。

日本では、スポーツにおけるスーパースターは、フィクションことにコミックから生まれて来た。というか、まだまだ世界レベルから遠い日本のスポーツは、コミックの中で成長してきたわけだ。

そして「大リーグボール」の時代から、日本人選手が本物の大リーガーになって、超一流の仲間入りをしていった辺りから、フィクションの出番は段々と減ってきたと思う。

今大会だと、まず荻野と瀬戸の「子どもの頃からのライバルと友情」というお話があった。

体操は、内村を中心としたチームが優勝して、最後はそのリーダーが個人でも金メダルと獲った。

卓球は男女ともメダルを獲ったが、並んだ時の個性がまるで図ったみたいだし、そして、4×100mリレーは、「できすぎ」というくらいのお話だった。

1人も9秒台もファイナリストもいない中での、チームプレーというのもそうだけど、またキャラクターが光ってる。でも、ドラマの脚本家が「ケンブリッジ飛鳥」なんてキャラクターを考えたら、脚本家が突っ込まれたと思うんだよね。

「いや、ちょっと荒唐無稽でしょ」とか。
でも、現実はもう軽々と先に行ってしまった。 >> 「本物のチーム」が勝った夏。の続きを読む