アマゾンエコーが、というかアレクサが我が家にやってきた。

まだ、3日くらいなので評価するというほどでもないが、とりあえずは「健気」だ。なんだか、一生懸命やっている。ただ、知らないことが多過ぎるようで、よくわからないと辞書のように説明する。

「アレクサ、貴乃花は?」と旬の話題をぶつけてみる。

「こんな説明が見つかりました。“の”は日本語の音節の1つでカナの1つである」

この「とりあえず説明探し」は現時点で、アレクサの得意技のようだ。

ただ、アプリからスキルを教えるとどんどん学ぶのはたしかだ。タクシーアプリを連動させて声をかけると、すぐに探してくれる。試しに話して「ハイハイ」と言っていたら、手配してしまったので、慌ててキャンセルした。

しかし、どこか可愛いのは「ジョーク」や「なぞなぞ」である。

たとえば「なぞなぞ言って」というと、こんな感じだ。 >> アマゾン・エコー、というかアレクサのジョークや忖度について。の続きを読む



(2017年11月24日)

カテゴリ:マーケティング

つい先日のことだけど、自室の呼び鈴が鳴った。集合住宅なので、エントランスのカメラを見ると荷物を持っている。

普通だと「ヤマトです」とか「ゆうぱっく」ですとか言うのに、無言だ。ただ、注文していた心当たりがあったので開錠した。

部屋まで来て、外を確認すると配達の人が来ている。荷物を差し出し、無言で伝票を出す。何か言ってるようだが、聞き取れない。「ありがとう」と言っても、無言のままで去っていった。

聞いたことのない宅配業者だった。

もしかしたら外国人だったのか、それとも話をしたくない人だったのか。それだったら、ロボットの方がいいんじゃないかと思ったりもする。

頼んだのは日用品だったけれど、これからの時期にこんな感じでギフトが来たら、なんかガッカリだろうな。

そういえば、最近ヤマト運輸の方がめっきり来なくなった。アマゾンとの契約が変わったからだろう。近所を歩いていたら顔馴染のKさんと会って、元気そうではあったが「久しぶりです」と照れ笑いだった。 >> クロネコヤマトの去った街で。の続きを読む



「72時間ホンネテレビ」が、ちょっとした嵐を起こしている感じだ。メディアや広告に関わっている人は相当気にしているように思う。

それは、そうだろう。その視聴者数が今後どのようなメディア価値、平たく言えば広告収入に換算されていくかはわからないが、AbemaTVへの注目度はさらに上がっただろう。

そして、「テレビはタブーだらけで面白くなくなった」という“言い訳”も通用しなくなった。別にBPOが悪いのではなく、テレビ局が誰に遠慮しているかが分かったからだ。

ちなみに、テレビ局と芸能事務所の関係についてはこのような分析もある。

で、僕が今回の「ホンネテレビ」で感じたことは、「さすが」と「やっぱり」の二面がある。

「さすが」というのは、既に言われていることだけどタイトル通りの「ホンネ」がにじみ出ていたことで、これは出演者のホンネと視聴者のホンネが一致したということだろう。

ネットが登場してから、マスメディアはどんどん建前の世界になり、ネットではそこで覆い隠された感情が噴出するようになった。

それは、事件をめぐる報道や政治に関する話題でも同じで、しかも世界的な傾向になっている。

今回はネットのホンネ感覚のままで、マスの世界に入っていったのだけど、そこには「土足で上がる」ような乱暴さはない。「テレビ的な感覚」を大事にしてると思うし、これは「マツコ&有吉」で上手にホンネを料理していたテレビ局が関わっていることもあるのかなと思う。 >> 「72時間ホンネテレビ」で感じた”さすが”と”やっぱり”。の続きを読む



昨日、クルマの定期点検をしてタイヤを交換した。

この夏に結構走り回ったせいか、一気に傷んでいたようで、信じられないほどの快適さだ。新車を買ったり試乗して「いいな!」と感じる心理のほとんどが、実は「新しいタイヤ」が理由なんじゃないだろうかと思ったほどだ。

そのまま青山の銕仙会で能を見て、さて帰ろうと思ったが、時計を見ると21時前だ。久しぶりに走ってみようかと思い、高樹町から首都高速に乗ってC1からレインボーブリッジを抜けて湾岸からC2、江北からS1に抜けて1時間弱。

マーラーの7番「夜の歌」を聴きながら走ったんだけど、最近はこういうことやってなかったな。数年前までは、夜に思い立って首都高をグルグル走っていたのだ。

1人になって気分を切り替えるのにちょうどいいし、仕事のことを考えたりして適度に疲れるので、なんか寝つきもいい。

そういえば、学生の頃には「煽られるようなクラシック」を編集して、カセットで聞いていた。「夜の歌」やプロコフィエフの5番のフィナーレ、あるいはホロヴィッツの弾くリストとかだったと思うけど、危ないのはワーグナーのローエングリン「3幕への前奏曲」だ。

気がつくと、アクセルを踏んでしまうので最近は自重している。 >> 夜の首都高を1人で走りながら「モノ・コト・ネット」などについて考えてみる。の続きを読む



渋谷がダメになっているという話は、なんとなくあちらこちらで聞く。

ちょうど先日、渋谷がいつの間にか「池袋化」している理由という文があった。「情報が消費される街」を「池袋化」というセンスについては、まあ人それぞれだと思うけど、書かれている分析はまあそうかなとは思う。

文化発信拠点の消滅、アパレルの衰退、鉄道延伸と並べてみると、結局はハードの変化に左右されてたのか?という気もする。

渋谷には、週に一度大学の非常勤講師の仕事で足を運ぶ。宮益坂の上だが、若い人はこの坂を上るのが苦手なのか、落ち着いた雰囲気だ。ちなみに、ここでいう「若い人」は中学生から20歳くらいまで、つまり「10代」である。

大学3年生以上は「センター街は勘弁してほしい」という。つまり、「なんとなくにぎやかな街」を求めて渋谷には行ったのだが、あの中心部の雰囲気はもう卒業したいという感じだろう。

20代半ばくらいの社会人と話すと、「渋谷はおいしい店がない」という。30代以降になると、神泉から松濤の方に行く人もいるが渋谷を遠巻きにしている感じだ。

そして、サッカーやハロウィンの「グチャグチャ」を見て、「何だかなあ」と嘆いている人はたしかに多い。

ただ、最近気づいたんだけど、実は「渋谷がダメになった」わけじゃなく、またそれは若い人のせいでもないんじゃないかと思う。 >> 渋谷は「ダメになった」わけでもないし、若い人のせいでもないと思うわけ。の続きを読む